78歳・勢古浩爾の老後論「老人はただ生きる。それだけでいいのに、テレビや雑誌では積極的で元気な人ばかりが紹介され…」

(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)
「老後は楽しめ」「前向きに生きろ」「健康に気をつけろ」……。年を取ると、老後の生き方についてあれこれ言われることも多くなります。78歳の評論家・勢古浩爾さんは、そうした強制社会に違和感を覚えるといい、自身の老後についても「日々、風に吹かれるすすきのように、穏やかに過ごせればいい」と語ります。今回は、勢古さんの著書『老後がめんどくさい』から抜粋し、勢古さんの老後論・人生論をご紹介します。

* * * * * * *

【書影】ほんわか愉しい“ものぐさ老後”のすすめ。勢古浩爾『老後がめんどくさい』

「老後」はどうすればいいのか

ついこの間まで(といっても、10年以上前になるが)、「定年後」はどう生きればいいかとか、「古希」になったがなにか変化はあるのか、などと書いていた。

それがいまではもう、「老後」はどうすればいいのか、である。

老後か?

たしかに80歳近くになったのだから、老後といえば老後だが、とくに考えたことはなかったなあ。

そういえば「定年後」でも「古希」でもおなじだった。

ところが人というものはおかしなもので、「老後はどうするの?」とか、「どう生きればいいのかね?」などと訊かれたりすると、それまで考えもしなかったくせに、「どうするかなあ」と考え始めたりするのだ。

よくテレビで、やっている。

「さあここで問題です。祈りと願いはどうちがうでしょう?」といわれると、なんの関係もないのに、「えっとねえ」と考え始めるのとおなじである。

人間は、問題に答えようとする動物なのだ。

わたしの解答は、「XXだろ?」ではなく、「やかましいわ」である。

しかしそれではミもフタもない。

考えてみれば、「老後」に問題がないわけではない。

それでも世間のご老人たちは、みんな、自由勝手に生きているではないか。

わたしなんかの出る幕ではない。

ところが、そう思いつつ、わたしは3年前には、生意気にも『無敵の老後』なんて本を書いているのである。

けっこう適当なやつで、申し訳ない。

しかし3年もあれば、心境の変化ということがある。

いま元気でも、1年後には死んでいることだって、ありうるのである。

老人の生き方は様相が変わってきた

従来の老人の生き方は、保守的な生き方と相場は決まっていた。

健康診断を受け、認知症にならないように、脳トレや軽い運動、食べ物に注意すること。医者のいうことは守るように。薬もきちんと飲むことが大切だ。

しかし最近は様相が変わってきたように思われる。

これには和田秀樹の力が大きいと思うが、高齢者(とくに後期高齢者)はもう好き勝手に暮らせばいい、というものだ。

世間の常識や医者のいうことは、まじめに聞きすぎないように。

それよりも自分の体の調子や自分の欲求に従えばいい。

人生は1回しかないんだから、楽しまなければ損ですよ、と。

そのためには、元気で長生きしなきゃ。

テレビや本や雑誌では、積極的で元気な老人ばかりが紹介される。

なかには「老後のいまが一番しあわせ」というおばあさんもいる。

年寄り用の薬やサプリメントのCMでは、出ている老人が階段を軽やかに昇り降りし、足取りも軽く歩いている。

老人に、ラグビーをやらせたり、空手や剣道をやらせたり、マラソンをやらせたりしている。

すると、仲間の老人(じつはサクラ)が、「いや、かれには敵わないよ」というのだ。

89歳で亡くなった父

89歳で亡くなったわたしの父は、母が先に亡くなってから、気力も体力も弱まる一方だった。

戦後、復員してから保険会社に就職し、定年まで勤めあげた。

定年後も80歳まで保険代理店をした。80になると、もうこれだけ働けばいいだろうと、引退した。

母を亡くした晩年は、毎日、1合の酒を自分で燗につけ、「これだけが楽しみじゃ」といっていた。

ふつうの男だった。仕事はしたし、できた。

だが引退してからは、目にみえて衰えた。

わたしと弟は、テレビに出てくる元気な老人がいると、暗に父親が見るよう、やんわりと仕向けた。励ましになるかと思ったのだ。

たとえば三浦雄一郎の90歳を超えた父親が、鉄の錘(おもり)を入れたリュックを背負い、足首に鉄板を巻いて、家の周りを何周も歩く姿を見せた。

が、父は、「ほお、すごいねえ」とはいうが、すぐ「おれにはできんな」で終わった。

わたしはいま、自分が実際に年をとってから、父の気持ちがよくわかる。

やたら元気な老人を見ても、なんとも思わないのだ。よし、おれも頑張ろう、などとはまず思わない。

父に悪いことをした。

タバコを取り上げたりすることはなかったのだ。

ただ生きる、それだけである

わたしは70歳を過ぎて、体が一気に弱り、75を過ぎて気力も失せている。

徹夜はまだ平気だが、徹夜明けが弱くなった。

(写真提供:Photo AC)

昔はそのまま起きて、会社で1日仕事をしてもまったく平気だったが、いまはすこしでも眠りたい。

自転車にはまだ乗れるが、風が強いともう乗る気がしない。

歩きは、1万歩を超えるときつくなってきた。

数年前までは2万歩でも平気だったのである。

とても、元気で楽しく長生き、どころではない。日々、風に吹かれるすすきのように、穏やかに過ごせればいい。

ただ生きる、それだけである。

ところが世間が、やかましい。

老後の資金は大丈夫かね、ボーッとしてるとボケるよ、みんなは生活を楽しんでるぞ、あんたも残りの人生を楽しまなきゃ損だよ、と余計なことをいってくるのだ。

思わず、めんどくせ、と呟いてしまう。ほっといてくれ。

牛丼の会計のときに、「このカードはお持ちですか?」と訊かれる。コンビニで「レジ袋はどうします?」と訊かれる。

喫茶店では、みんなはなにやら、カードを3種類くらい見せている。

わたしはじっと待つ。

一々、めんどくさくなったなあ、と思う。

生きていくしかない

父に1合の晩酌の楽しみがあってよかった。

けれどわたしは酒を飲まないから、人並みの楽しみはない。ゴルフもしないし、サウナにも行かない。

わたしは生来、めんどくさがりで、ものぐさである。

現在の正直な心境は、「なんだかめんどくさいが、生きていくしかないな」というものだ。

しかしそんなわたしにも、時々は、ほんわり楽しいこともあるだろう。

うん。それでいい。

※本稿は、『老後がめんどくさい』(草思社)の一部を再編集したものです。

元記事を読む