78歳・勢古浩爾の老後論「老人はただ生きる。それだけでいいのに、テレビや雑誌では積極的で元気な人ばかりが紹介され…」
03/19 12:30
婦人公論.jp

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【書影】ほんわか愉しい“ものぐさ老後”のすすめ。勢古浩爾『老後がめんどくさい』
「老後」はどうすればいいのか
ついこの間まで(といっても、10年以上前になるが)、「定年後」はどう生きればいいかとか、「古希」になったがなにか変化はあるのか、などと書いていた。
それがいまではもう、「老後」はどうすればいいのか、である。
老後か?
たしかに80歳近くになったのだから、老後といえば老後だが、とくに考えたことはなかったなあ。
そういえば「定年後」でも「古希」でもおなじだった。
ところが人というものはおかしなもので、「老後はどうするの?」とか、「どう生きればいいのかね?」などと訊かれたりすると、それまで考えもしなかったくせに、「どうするかなあ」と考え始めたりするのだ。
よくテレビで、やっている。
「さあここで問題です。祈りと願いはどうちがうでしょう?」といわれると、なんの関係もないのに、「えっとねえ」と考え始めるのとおなじである。
人間は、問題に答えようとする動物なのだ。
わたしの解答は、「XXだろ?」ではなく、「やかましいわ」である。
しかしそれではミもフタもない。
考えてみれば、「老後」に問題がないわけではない。
それでも世間のご老人たちは、みんな、自由勝手に生きているではないか。
わたしなんかの出る幕ではない。
ところが、そう思いつつ、わたしは3年前には、生意気にも『無敵の老後』なんて本を書いているのである。
けっこう適当なやつで、申し訳ない。
しかし3年もあれば、心境の変化ということがある。
いま元気でも、1年後には死んでいることだって、ありうるのである。
老人の生き方は様相が変わってきた
従来の老人の生き方は、保守的な生き方と相場は決まっていた。
健康診断を受け、認知症にならないように、脳トレや軽い運動、食べ物に注意すること。医者のいうことは守るように。薬もきちんと飲むことが大切だ。
しかし最近は様相が変わってきたように思われる。
これには和田秀樹の力が大きいと思うが、高齢者(とくに後期高齢者)はもう好き勝手に暮らせばいい、というものだ。
世間の常識や医者のいうことは、まじめに聞きすぎないように。
それよりも自分の体の調子や自分の欲求に従えばいい。
人生は1回しかないんだから、楽しまなければ損ですよ、と。
そのためには、元気で長生きしなきゃ。
テレビや本や雑誌では、積極的で元気な老人ばかりが紹介される。
なかには「老後のいまが一番しあわせ」というおばあさんもいる。
年寄り用の薬やサプリメントのCMでは、出ている老人が階段を軽やかに昇り降りし、足取りも軽く歩いている。
老人に、ラグビーをやらせたり、空手や剣道をやらせたり、マラソンをやらせたりしている。
すると、仲間の老人(じつはサクラ)が、「いや、かれには敵わないよ」というのだ。
89歳で亡くなった父
89歳で亡くなったわたしの父は、母が先に亡くなってから、気力も体力も弱まる一方だった。
戦後、復員してから保険会社に就職し、定年まで勤めあげた。
定年後も80歳まで保険代理店をした。80になると、もうこれだけ働けばいいだろうと、引退した。
母を亡くした晩年は、毎日、1合の酒を自分で燗につけ、「これだけが楽しみじゃ」といっていた。
ふつうの男だった。仕事はしたし、できた。
だが引退してからは、目にみえて衰えた。
わたしと弟は、テレビに出てくる元気な老人がいると、暗に父親が見るよう、やんわりと仕向けた。励ましになるかと思ったのだ。
たとえば三浦雄一郎の90歳を超えた父親が、鉄の錘(おもり)を入れたリュックを背負い、足首に鉄板を巻いて、家の周りを何周も歩く姿を見せた。
が、父は、「ほお、すごいねえ」とはいうが、すぐ「おれにはできんな」で終わった。
わたしはいま、自分が実際に年をとってから、父の気持ちがよくわかる。
やたら元気な老人を見ても、なんとも思わないのだ。よし、おれも頑張ろう、などとはまず思わない。
父に悪いことをした。
タバコを取り上げたりすることはなかったのだ。
ただ生きる、それだけである
わたしは70歳を過ぎて、体が一気に弱り、75を過ぎて気力も失せている。
徹夜はまだ平気だが、徹夜明けが弱くなった。

昔はそのまま起きて、会社で1日仕事をしてもまったく平気だったが、いまはすこしでも眠りたい。
自転車にはまだ乗れるが、風が強いともう乗る気がしない。
歩きは、1万歩を超えるときつくなってきた。
数年前までは2万歩でも平気だったのである。
とても、元気で楽しく長生き、どころではない。日々、風に吹かれるすすきのように、穏やかに過ごせればいい。
ただ生きる、それだけである。
ところが世間が、やかましい。
老後の資金は大丈夫かね、ボーッとしてるとボケるよ、みんなは生活を楽しんでるぞ、あんたも残りの人生を楽しまなきゃ損だよ、と余計なことをいってくるのだ。
思わず、めんどくせ、と呟いてしまう。ほっといてくれ。
牛丼の会計のときに、「このカードはお持ちですか?」と訊かれる。コンビニで「レジ袋はどうします?」と訊かれる。
喫茶店では、みんなはなにやら、カードを3種類くらい見せている。
わたしはじっと待つ。
一々、めんどくさくなったなあ、と思う。
生きていくしかない
父に1合の晩酌の楽しみがあってよかった。
けれどわたしは酒を飲まないから、人並みの楽しみはない。ゴルフもしないし、サウナにも行かない。
わたしは生来、めんどくさがりで、ものぐさである。
現在の正直な心境は、「なんだかめんどくさいが、生きていくしかないな」というものだ。
しかしそんなわたしにも、時々は、ほんわり楽しいこともあるだろう。
うん。それでいい。
※本稿は、『老後がめんどくさい』(草思社)の一部を再編集したものです。