「なぜ加害者が守られる社会なのか」渡邊渚さんが直面したネット誹謗中傷の"理不尽"
08/04 10:02
元フジテレビのアナウンサーでタレントの渡邊渚さんは5月、自身のインスタグラムで誹謗中傷に対して法的措置を講じていることを明らかにした。しかし今も、SNSやニュースのコメント欄には心ない言葉が多数向けられている。
現在、渡邊さんは自身のSNSのコメント欄を閉じ、誹謗中傷の数は減りつつあるというが、それでも苦しみは続く。証拠収集を被害者自身が行うことの負担や、法的措置をとっても報われるとは限らないこと。被害当事者が向き合わざるをえない理不尽な状況について話を聞いた。
●包丁をたてたり、顔が黒塗りにされたりした写真も届く——今年5月、人格を否定するような言葉、殺害予告などがSNS上に書き込まれたことから、自身のSNSで法的措置(開示請求手続きなど)を始めたことを明らかにしました。これまでどのような誹謗中傷が向けられてきたのでしょうか。
元々は、自分は中傷されても傷つかないと思っていました。でも、ふとした瞬間に、ひどい言葉が心が刺さってしまったんですね。やはり、中傷の言葉を目にすればそれ相応に傷つきます。
ひどかった時は、誹謗中傷しか目に入らず、良いコメントが逆に見えなくなるくらいでした。本当は良いコメントもあったはずなのですが、悪いコメントだけしかないような意識になって、眠れないほど一日中スマホを見ていたこともありました。
DMには包丁をたてたり、私の顔が黒塗りにされたりした写真も届きます。それを見続けてしまう時期もありました。
自分に向けられたものだけではなく、友達や家族について間違った情報を流されたり、「殺しに行くぞ」と脅迫めいたことを書かれたりしたことも。これは看過できないと思いました。
●誹謗中傷を見つける、残す作業で心が削られていく——法的手続きをする中で、どのような苦労がありますか。
証拠収集ですね。誹謗中傷での法的手続きをするために、証拠を集めるのは被害者自身です。
開示請求をするためには、投稿内容をPDFにする必要があるのですが、投稿者がすぐ消すことも。PDF化の作業は見たタイミングで、急いで行わなくてはいけません。
相手を裁くためとはいえ、自分に向けられた攻撃的な言葉を見返すたびに傷つきます。何度見ても慣れることはありません。弁護士に提出するため、わざわざパソコンを立ち上げてPDF化の作業をしていると、心が削られて具合が悪くなることもあります。
「家族や友達にお願いしたら?」と言われることもあるんですが……。皆さん仕事もあるし、嫌なものを見せたり、ストレスをためる作業をお願いするのは申し訳なくて。なかなか助けを求めることはできないですね。
●警察や弁護士からは「加害者を特定できても…」——それだけ被害者側の負担があるのに法的措置をとっても、加害者が支払能力がないなど報われないこともあると聞きます。
弁護士の先生にも、警察の方にも言われたのが「加害者を特定できたとしても、自分が幸せになれるかというと、そうではない可能性が高い」でした。
なぜかというと、そもそも見つからないかもしれない。また、法的に損害賠償の支払いが命じられても支払い能力がない人が多いという現実があるそうです。弁護士の先生からは「回収できない可能性が高い。かけたエネルギーが報われるわけではない。それでもやりますか?」と言われました。
——それでも踏み切った理由は何だったのでしょうか。
職業上、間違った情報が広がれば仕事に影響してしまいます。
今でも外資企業のなかには「負けるな」と言って一緒に仕事をしてくれることも多いんですが、日本の企業では「今はまだ誹謗中傷など話題になってますよね」と避けられることもあるんです。そんな深刻な状況であるからこそ法的手段を取る決断をしました。
負けることもありえる戦いとわかっていても、やらなくてはいけない。金銭的にも精神的にも負担が大きいですし、ゴールが見えないので、つらいと感じることも多いです。
でも、私が言葉で誹謗中傷によって傷ついていること、どれだけ影響が出ているのか発言しないと世の中は変わらないと思っています。私が折れて何も言わずにSNSをやめたら、私を傷つけた人たちは何の思いも抱かずに、そのまま他の人を傷つけ続けるだけです。
でも私は「それは良くないよ」と言い続けます。そうしなければ、社会は変わらないと思って戦い続けています。
●プラットフォームの問題——ニュース配信サイトのコメント欄でも、心ない言葉が並ぶこともありますね。
批判コメントばかりでないとわかってはいます。見なくてもいいと思っても、自分の名前がニュースに出ていると記事を読んでしまうことがあります。
私に限らずなのですが、ニュースのコメント欄が、誰かをいじめるために作っているのかと思うくらいひどいことがあるんです。
「死ね」とか「生きている価値ない」と書かれたときに、その一言で人がどうなるか考えてほしいです。私もギリギリのラインに立ったことがある。あと一歩踏み出したら終わりだというタイミングもありました。
実際に人が死なないと動かないの?と思うこともあります。プラットフォームは、もっとしっかり取り締まって欲しいですね。
●「加害者に甘い社会で生きていて私は幸せになれるのかな」——法律専門メディアとして気になったのが、渡邊さんの著書(1月発売のフォトエッセイ『透明を満たす』)では、PTSDの原因となった出来事があった後、弁護士を探すのに苦労されたと書かれていた点でした。具体的にどこが一番、苦労されましたか。
弁護士さんを探すためスマホで検索したんですが、被害者側の弁護士が全然ヒットしませんでした。出てきたのは加害者側を守る弁護士ばかりです。「うちにお任せください」と並ぶ広告を見た時、日本社会って……とショックでした。こんな社会で生きてたくないと思ってしまいました。
「この先、生きていていいことあるのかな」「加害者に甘い社会で生きていて私は幸せになれるのかな」と。被害者はどこで救われるのか、と。
最終的には、信頼できる病院のソーシャルワーカーさんに紹介いただいて、今の弁護士さんにたどり着くことができました。
ただ、今もあのとき、検索した時のことは忘れられません。被害に遭った人間、被害に直面している人間が守られる社会であってほしいです。
●SNSは正しく使えば生きる希望になる——SNSに救われる部分もあると書籍でも語っていました。折れずにいられる原動力はどこにありますか。
SNSで同じ病気や違う病気の闘病中の人たちとつながれたことで「1人じゃないんだ」と思えたんです。
どうしてもSNSの悪いところばかりが話題になりますが、外に出られず家や病院にこもっていた時、唯一社会とつながれる場所がSNSでした。SNSがあったから「リアルな社会ともまたつながれるかも」と思えたし、活力にもなりました。
SNSは、悪い力に変わることもあるけど、生きる希望にもなったりする。まだまだ頑張ってみようと思えます。