〈11浪6留年5国試浪人〉医師を目指して30年、費やしたお金は約2000万円…“48歳・医師の卵”が「適性がない」と言われても夢を諦めないワケ
07/08 07:00
大学医学部を目指して11浪、その大学の卒業には14年も要し、卒業後の医師国家試験では5年連続不合格……。夢を追いかけて30年、「それでも私は決して諦めません」――“48歳の医者の卵”、ジンジンさんの数奇な人生を追った。
【画像】11浪8留年5国試浪人…48歳ジンジンのジンとくる名言集
20歳で出合った本に感銘を受けて精神科医の道へ
今年3月、前月に実施された「医師国家試験」の結果がジンジンさんの手元に届いた。
200点中160点以上が合格基準の必修問題であと10点足らず、これで5年連続の不合格。だが、この男はこの程度のことではへこたれない。
「いやいや、さすがにショックでしたよ。でも惜しいところまでいったので、そこは切り替えてまた明日からがんばろうと」
11浪6留年5国試浪人。たった1年の浪人や留年で絶望する若者が多いなか、ジンジンさんの生きざまはまさに不屈。
しかし、なぜ医者という仕事にそこまでこだわるのか。
「困っている人の力になりたい。ただそれだけですね」
耳触りのよすぎる答えに、この記事を読んでいるあなたも「本当は『お金持ちになりたい』『モテたい』という思いを捨てきれないだけだろ」と思ったに違いない。もう少しジンジンさんの話を聞いてみよう。
「医者を目指したきっかけですか? 小学生から医者という職業になんとなく憧れていて、現役(受験生)のころは漠然と内科がいいかなと考えていたんです。ところが20歳のとき、精神科医の木村敏(びん)先生が書いた『心の病理を考える』という精神病理に関する本を読んで感銘を受けまして。
高校時代に仲の良かった同級生がうつで大学を中退してしまったこともあって、心の臨床というものに強く興味を持ち、精神科医を目指すことにしました」
ひょんなことから人生の転機を迎えたジンジンさんだが、学生時代からダントツでよい成績をおさめている人間ばかりの医師の世界で、彼はいわゆる凡人だった。
「高校は進学校ではなかったですが、その中でも成績は普通でした。そんな人間が医者になれるのかという話ですけど、当時はただ何も考えずに目指してましたね。両親も応援してくれましたし。
ただ、大学受験に落ち続けるうち、『やっぱり自分じゃ無理なのか』と思うようになりましたが」
そうして最初の関門である医学部合格を前に11年間、足踏みをすることになる。当初、応援していたはずの両親も、この時点ですっかり呆れ果てていた。
念願の医学部合格も学内で孤立し、うつに…
ようやく医学部に合格するも、齢はすでに29。
進学先は地元名古屋から遠く離れた広島大学だったが、国立大学の医学部だけに難易度は高い。家庭は特別裕福ではなく私立という選択肢がなかったなかで、なんとか切り拓いた医者への道だった。
「やっと終わったという気持ちと、もうこれ以上足踏みができないなという気持ちがありましたが、あとはスムーズにいくだろうと楽観的に考えてました。
それに、医学部生としての華のキャンパスライフを想像していなかったと言ったらウソになりますね……(苦笑)」
ただ、現役生から見れば11歳も年上の“おっさん”である。異物のような目で見られ、実習のときに話しかけても校内で挨拶をしても無視される。オーケストラ部に入ってファゴットを吹いても状況は変わらなかった。
人間関係に悩み、今度はジンジンさん自身がうつになってしまう。
「医学部は6年制ですが、私はそういう状況で6回の留年と2年の休学があり、結局、大学に14年も通うことになってしまいました」
この時点で43歳。不惑の年を過ぎても惑いまくるジンジンさん。それでも「なんとか卒業できたから、今度こそスムーズに医者になれる!」と息巻いた。なにせ医師国家試験の合格率は約90%だ。
だが、この試験の受験者は全員医学部を卒業した秀才たちである。逆を言えば、その秀才たちでも1割が落ちるのだ。
しかも、これまで学費等を援助してくれた両親はすでに後期高齢者となっていた。もはや国試のための予備校に通う経済力はジンジンさんにはなく、独学で臨むしかない。
塾講師のアルバイトやスポットワークで生活費を稼ぎながらの受験勉強はどうにも効率が悪い。それどころか奨学金返済などで家計は火の車だ。
「早く医師にならなければ……」
焦る気持ちをあざ笑うかのように今年3月、5度目の医師国家試験に不合格となり、ジンジンさんは31年目の”医師の卵”となった。
窮地のジンジンさんを助けた元同級生たち
そんななか、なぜか4月からXアカウントを作成し、自分の境遇や日々の試験勉強の様子、そしてポジティブワードを発信するようになった。
「じつは数少ない大学時代の友達が私の困窮した生活を見かねて、『なかなかないキャリアなんだから、それを発信すればバズって生活費の足しになるかもよ』と提案してくれたんです。
それでXをやってみたらすごく反響があってこうやってメディアの方の取材も受けて……僕も友人もここまでとは思ってなかったのでビックリしています」
その友人とは、ひと回り近く年下で大学時代に“同級生だった時期”もある、現在、外科医師となって10年目のT先生だ。
「ジンジンはこういうキャラクターだから学生時代はやや浮いていたけど、私ともうひとりの友人はそういうことをあまり気にしない性格なので、よく話していたんです。
で、私が医師になって市中の病院に勤めて6年ぶりに広島大学へ戻ってきたら『あれ、まだいる』と(笑)」(T先生)
毎朝ルーティーンで大学の図書館の新聞を読んでいる謎のおじさんはキャンパス内ですっかり有名人となっており、旧友との再会は必然だった。
T先生はジンジンさんについてこう語る。
「普通は国試に何度も落ちたら心が折れたり、しばらく休んでから勉強を再開するものですが、ジンジンは落ちた直後から、朝から晩まで研究室で勉強してる。
そういう必死な姿を見たら助けたくなりますよね。まぁ、それだけ勉強しててなんで落ちるんだって話ではありますが……(苦笑)」
バイトの兼ね合いもあるが、基本的に週7で大学の自習スペースに訪れ1日約7時間は自習しているジンジンさんの姿は、人の心を揺さぶる何かがあったということだろう。
費やしたお金は約2000万円、それでも諦めない
先の見えないトンネルの中で、光明も差している。
4年間は独学でがんばってきた医師国家試験だが、去年度は費用を捻出してビデオ講座を受講して試験に臨んだ。その結果、合格まであと一歩まで迫ったのだ。
さらに、ありがたいことに旧友が勉強に集中できるようにと、いろいろとサポートしてくれている。
彼の歩みを止めさせたのが人間関係ならば、医者の道を後押ししてくれるのもまた、人間関係だったのだ。
医師を目指して30年、費やした学費や授業料は総額2000万円にもなるという。たとえ、医師国家試験に合格しても、その後、アラフィフのジンジンさんを研修医として迎え入れてくれる病院があるかどうかすらわからない。
Xでは応援してくれる人がいる一方、「もう諦めろ」「適性のない医者に診てもらいたくない」といった辛辣なコメントも少なくない。
そんな言葉を受けてもジンジンさんは「決めるのは病院。私はただ、がんばるのみ」「諦めかけている人のそばに立てる医者になりたい」と前を向く。
将来、こんな経歴を持つジンジンに救われる患者もいるかもしれない。五十にして天命を知るために、ジンジンさんは今日も机に向かう。
と、なんだかいい話風になってしまったが、「医者になれば少しはモテるかもしれないですしね」と鼻の下を伸ばしていたジンジンさんがいたことも、念のため付け加えておく。
取材・文/武松佑季