参政党の設立メンバーが分析「叩けば叩くほど逆効果」「これから記録的な大躍進」…反ワク、陰謀論は「初期段階にすぎない」
07/09 11:00
熱戦が繰り広げられている参議院選挙。中でも注目を集めているのが、世論調査で「自民に次ぐ2位」に浮上した参政党だ。「日本人ファースト」のキャッチフレーズや、反ワクチンを筆頭とする陰謀論的な主張が取りざたされることが多い同党だが、その本質はどこにあるのか? かつてこの政党の立ち上げに携わった人物の一人である、早稲田大学招聘研究員で国際政治アナリストの渡瀬裕哉氏が分析する。
【画像】演説する参政党の神谷宗幣代表と元航空幕僚長の田母神俊雄氏
「政策面は褒めないというスタンス」
早稲田大学招聘研究員で国際政治アナリストの渡瀬裕哉氏は、かつて参政党の立ち上げに携わった人物の一人だ。
渡瀬氏らは「投票したい政党がないから自分たちで作ろう」というコンセンプトのもと、元日本共産党国会議員秘書やYouTuberらと一緒に同党を立ち上げた。
だがその後、神谷宗幣代表の政策と折り合いがつかず、創設メンバーは次々と去っていった。渡瀬氏もその一人だった。
渡瀬氏は今の参政党についてSNSで「基本的には党運営と党体制と資金集めは褒めて、政策面は褒めないというスタンス」「空想科学的な政策を今回の参議院議員選挙で叩かれて修正すれば良い」「そろそろ真面目に政策を作る段階」などと見解を述べている。
そんな渡瀬氏があらためて参政党の躍進の理由を分析する。
参政党は「政党としての当たり前」をやっているだけ
参政党が2025年参議院議員選挙で躍進しそうだ。この躍進の「謎」について政党立ち上げの初期段階に関わった者として、各種メディアからお問い合わせを頂くことが増えた。
しかし、メディアからの質問というものは常に切り取りであって、私自身のまとまった結論として「なぜ、参政党が躍進しているのか」という問いの回答を提示すべきと思い、昔のこと、今のこと、今後のことを思い、本論稿の筆を取った。
早速であるが、「なぜ、参政党が躍進することになったのか」という質問に対して、簡潔な結論を述べたい。それは「政党として当たり前のことをやった」からだ。
「政党として当たり前のこと」とは何か。それは政党の党員を集めることだ。実は日本ではほとんど全ての政党は真面目に党員を集めたことがない。党員は政党を構成する本体となる人々であり、本来は党員がいなければ政党など存在していないはずだ。
しかし、日本の場合は形だけの党員が大量に存在している。それらの人々はその政党が何を目指す政党なのかも知らず、政党に入ったら何が得られるのかも理解していない。
既存の主要政党において、政党の党員になる行為は、国会議員・地方議員との付き合いで名前を貸す程度の関係である。議員たちにはノルマがあるため、形式的なものであったとしても党員を集めて政党本部に報告する必要がある。
このノルマをクリアするために、個人後援会組織に加入している人々に頼んで名義貸しをしてもらうのだ。実際、かつては政党の党員などごく少数しかおらず、たまに存在していたとしてもSNSで党員証を見せびらかす“意識高い系”の風変わりな人々だけであった。
つまり、大半の日本人と日本の政党はまともに政党政治ということをやったことがないのだ。
君臣両方の世襲茶番構造
日本の政治に存在していたものは、封建領主(議員)と臣民(後援会)の関係として構築された前近代的な奉仕関係でしかなかった。これが極まると選挙区で何世代もの世襲が繰り返される(驚くべきことは議員だけでなく後援会も世襲されていく)。
そのため、選挙の目的は、既存の利権構造をそのまま維持すること、そして地域のバカ殿様を総理として担ぎ上げることを目指すことになる。
本来であれば、このような馬鹿げた茶番はその枠組みに入らない他の住民によってひっくり返される可能性もあるが、少子高齢化社会では新しい子どもが生まれず、多くの若者は都市に出ていくため、この君臣両方の世襲茶番構造は日本では根強く残るようになってしまった。
そして、政党は必然的に何をするものか分からなくなり、単純にバカ殿に錦の御旗として公認を寄こすだけの存在として堕してしまった。
オールドメディアに認められるために
また、この状況を打破するために生まれる新党は「オールドメディア」に認めてもらって、無党派層の風を掴むことを成立条件としていた。
そのため、新党と呼ばれる存在も、普段は議員が偉そうにしているだけの政党で、ポリコレを適当に並べて選挙の時だけ無党派層ウケ(つまり、オールドメディアのウケ)が良さそうな政策を垂れ流すだけの存在だった。
これは国会議員・地方議員を支える仕組みが後援会からオールドメディアに代わっただけであった。そして、一度オールドメディアが牙をむくと、表面上のスキャンダルで新党は消滅させられた。
その象徴的な事例は「みんなの党」であり、既存の体制に対するガス抜きに利用されただけで終わった。その後に生まれた新党は、どうでもよいパフォーマンス的なデモ活動、場外活動を繰り返すだけの賑やかし屋、地域利権を強固に誘導する自民党もどき、労組中心の旧民主党の残滓だけだった。
くりかえすが、参政党が結党時からやったことは、「政党の党員を集める」という当たり前のことだけだ。党員を集め、党員が党費を支払い、ヒトモノカネを全て自腹で運営するという、欧米の普通の政党がやっていることだ。
これを可能にしたテクノロジーがSNSであった。SNSは政治家が有権者に直接メッセージを届けられるツールである。そして、党員一人あたりの獲得コストが非常に低かった。
参政党と他のSNSで伸びた新党との違い
そのため、党員を獲得して得られる党費を使って新たな党員を確保するための拡大活動が容易になる環境があったのだ。これは米国で既に起きていたことであり、ネットを通じた運動員・資金集めは米国の政治では既に主流のやり方になっている。
参政党の動員力・資金力を見て「背後に大きな組織がついているに違いない」という陰謀論を垂れ流す既存政党関係者もいるが、それは自分たちがそのような政治をやってきただけのことだ。
筆者は同党の初期段階に関わっていた時、個人党員からの膨大な党費がSNSを通じて同党に入る様を鮮明に記憶している。その時、筆者は参政党が後々大きな組織になることを確信した。
さらに、参政党が他のSNSで伸びた新党との違いは、その動員力と資金力を組織構築と地域活動に投入した点にある。日本保守党やNHK党などの類似組織は、地域における地道な活動を軽視しているように見える(これは元々の政党の設計コンセプトや、党首の特性の違いによるものだろう)。
そのため、同じようにSNSを主軸とした政党であっても、時間とともに政党としての足腰に差が出ることは自明であった。参政党はいまや都議も含めた地方議員100名以上、全小選挙区に支部を作る巨大な組織構造を築いている。他の政党とはまるで異質の組織として認識するべきだ。
「党員が共有できる物語」を作る腕前
それらの土台を築いてきたのは、参政党代表の神谷宗幣氏の手腕によるが、実際に参政党の党勢を支えているのは、一人ひとりの党員である。これは政党活動が本質的に「議員の私事」に過ぎない既存政党と「党員主体で作り上げられた」参政党との違いだ。
神谷氏はトンデモ陰謀論のような発言をすることもあるが、基本的に「党員が共有できる物語」を作る腕前に非常に優れており、優れた営業統括マンでもある。そのため、一定の資金力があり人間がまとまって存在している対象を取り込んでいくこと、に躊躇はない。
その対象が、初期段階では、陰謀論、オーガニック、反ワクだったに過ぎず、排外主義的なムードが高まっている現在では、「日本人ファースト」という言葉になっているだけのことだろう。
これは神谷氏自身の信念というよりは、その都度新規に入ってきそうな党員の思いをくみ上げる党員主体政党の特性としては当然の帰結とも言える。
特に定まったガチガチの理念があるわけではない
また、参政党は海外の近代政党と違い、特に定まったガチガチの理念があるわけではないので、融通無下に様々な主張を取り込んでいる(筆者はこれを危険な点としても認識している)。
したがって、参政党の外部から「〇〇の主張はトンデモだ!」と言ったところで、その主張自体は政党の理念というよりは党員の声なので、何の対抗効果もないどころか、むしろ党員の結束を新たに強めるだけだ。
愚かな左翼やオールドメディアは延々と同じことを繰り返しているが、それらは「打たれ弱いバカ殿系議員」や「無党派層に乗るだけのもやし系議員」にしか通用しないやり方だろう。
彼らのやり方は議員を批判するものでしかなく、その主張を叩けば叩くほど新参の党員と既存党員の結束を強める逆効果が発生することを理解していない。
2年後の統一地方選挙で記録的な躍進も
今のままであれば、参政党は2年後の統一地方選挙で記録的な躍進を果たすのではないか。
仮に、この状況に問題意識を持つ政治家が本当にいるなら、自らの政党を党員主体の政党として近代化する方向に舵を切るべきだ。それができないのなら、いずれは参政党に呑み込まれて議席が失われるだけだろう。
参政党は時間が経つほど全ての主張を呑み込んでいくだろうが、それよりも先に政治理念を掲げた近代政党を作れば、その動きに対抗できる余地はまだ残っている。いずれにせよ、日本の政治が参政党の台頭によって振り回されていくことは確かなことだろう。
文/渡瀬裕哉