現代アートはマルセル・デュシャンから始まった!? 芸術の概念をひっくり返した「レディ・メイド」作品とは?

現代アートの源として知られるマルセル・デュシャンは、工業製品である便器にサインをしただけの作品『泉』で知られています。 彼が登場する前と後では、「芸術とは何か?」という概念が大きく変ったと言われるほどに影響力があるマルセル・デュシャン。 便器や自転車の車輪などの既製品を組み合わせて作る「レディ・メイド(既製品)」は、コンセプチュアル・アートの源流となりました。 この記事ではマルセル・デュシャンの革新的な作品に迫るとともに、現代アートとは何かを考えようと思います。

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マルセル・デュシャン, Public domain, via Wikimedia Commons.

マルセル・デュシャンはどんな人?

マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp 1887年〜1968年)は、フランス・ノルマンディー地方出身の芸術家で、アメリカとフランスで活動しました。

マルセル・デュシャンは14歳の頃から兄弟の影響で絵を描き始めます。初めは印象派の影響を受けた作風でしたが、30代の半ば以降は油絵制作をやめました。

1913年に最初のレディ・メイド作品『自転車の車輪』を制作。既製品をそのまま、あるいは少しだけ手を加えただけのものをオブジェとして提示する「レディ・メイド」といわれる作品を数多く発表しました。

彼は、第一次世界大戦期に起こった、既成の価値観や常識に対する否定や攻撃、破壊などの思想を特徴とする芸術運動「ダダイスム」において、ニューヨークでの中心人物です。

また、マルセル・デュシャンは20世紀の美術に最も影響を与えた作家の一人とされています。

革新的な展覧会からも拒否された『泉』は、何がすごいの?

マルセル・デュシャンの代表作『泉』は1917年に発表されました。

現代アートに慣れた私たちの感覚だと、「便器にサインをするだけでアートになるなんて、シュールで面白いよね」と思うかもしれません。

しかし、当時は賛否両論を呼び、「これは芸術ではない」と拒否反応を示した人もいたほどです。

これは芸術なのか? と話題騒然

『泉』が出品されたのはアンデパンダンと呼ばれる革新的な展覧会でした。アンデパンダン
は審査員による審査が行われる保守的な美術展に対抗して生まれました。無審査・無賞・自由出品が原則で、来場者が自由に作品を評価します。

そのような自由な展覧会からも、『泉』は拒否されてしまったのです。それがきっかけで「工業製品である便器にサインをしただけで、芸術になるのか?」と賛否両論を呼ぶことになりました。

後世にも影響、アートの基準を変えた

出品した展覧会からは「これはアートではない」と出品拒否をされた『泉』ですが、レプリカや類似作品が多数作られ、のちの芸術家に大きな影響を与えました。

これは、「便器がアートになる」ということではありません。「便器に意味を与える」(鑑賞者が作品を見て、意味を考える)ことが芸術であるという考えが、それまでの芸術の概念を変えたのです。

マルセル・デュシャンの主な作品

マルセル・デュシャンは作る途中の「思考のプロセス」も、作品の一部であると考えていました。彼のそんな哲学を反映した主な作品をご紹介します。

初期の作品 - 『階段を降りる裸体No.2』

デュシャンは高校を卒業した後、1904〜1905年にアカデミー・ジュリアンで絵画を学びました。

初期は、後期印象派やパブロ・ピカソなどで知られる「キュビスム」や、20世紀初頭にフランスで起こった絵画運動「フォービスム」に影響を受けています。1912年に発表された『階段を降りる裸体No.2』はそれまでの作風とは変わり、「動き」と「時間」を表現する新しい試みでした。

『階段を降りる裸体No.2』は、初期のデュシャンを知ることができる貴重な作品です。
この時期を最後にデュシャンは油絵を描くのを止めました。

参考:マルセル・デュシャン公式サイトの画像を参照 階段を降りる裸体No.2

自転車の車輪, Public domain, via Wikimedia Commons.

渡米以降 - 『自転車の車輪』

マルセル・デュシャンは1915年に渡米しました。渡米後しばらくはアメリカとフランスを行き来していましたが、パトロンとなるルイス&ウォルター・アレンズバーグ夫妻に出会ったことでニューヨークにアトリエを構えることができました。

この時期、デュシャンは既製品に少し手を加えてオブジェとして展示する「レディ・メイド」をスタート。1913年に発表された『自転車の車輪』が最初のレディ・メイド作品だと言われています。

作品自体はシンプルです。ひっくり返された自転車の車輪が木製のスツールにネジ留めされているだけなのですが、見る人がどう解釈するかが最も大切なポイントです。

デュシャンは「創造的な行為というのは、芸術家だけによって行われるのではありません。鑑賞者が、作品の経験について記述したり解釈したりすることで、作品が外の世界と接続されます。こうして、芸術家と鑑賞者が協働して作品を作り上げるために、鑑賞者も創造的な行為の一端を担っているのです」と話しています。

この考え方が、まさに現代アートと言えるでしょう。

『泉』

『泉』の何がすごいのかというと、後世に与えた影響力です。世界のアート界を牽引する500人のアーティストと批評家が選んだ「20世紀で最も影響力のあるアート作品」(2004年)に選ばれたほどです。

既製品である「便器」に「R.Mutt(リチャード・マット)」の署名と年号「1917」が入っただけとも言えますが、違う解釈をすると作品の価値が一気に高まります。「便器」は日常生活で使われるありふれたものですが、便器として使わないことで「オブジェ」に転換されたのです。

それまでの「美しさ」という基準だと芸術と呼べないものでも、使い方や見方を変えることで「芸術」になるという考え方は、それまでにない考え方でした。「芸術の定義を変えた」ということで、前述の「20世紀で最も影響力のあるアート作品」に選ばれたのですね。

参考:マルセル・デュシャン公式サイトの画像を参照

L.H.O.O.Q.

L.H.O.O.Q., Public domain, via Wikimedia Commons.

『自転車の車輪』と『泉』は工業製品を使ったレディ・メイドですが、この『L.H.O.O.Q』は、過去に描かれた「絵」を使ったレディ・メイド作品です。(それもなんと、『モナ・リザ』が使われています)

レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』を複製した安価な絵葉書を使い、モナ・リザの顔にヒゲを鉛筆で書き足した…これをどう解釈するかが「芸術」なのですね。

なお、タイトルの『L.H.O.O.Q』ですが、フランス語だと「エラショオオキュ」と発音するそうです(意味は「彼女はお尻が熱い」。つまり「性的に興奮した女性」)。

マルセル・デュシャンの作品のタイトルはこのように「目に見える文字の意味と、発音した音の意味」のように二重の意味が込められているものがいくつかあります。

デュシャン自身が女性に扮したキャラクター「Rrose Sélavy(ローズ・セラヴィ)」も同様で、フランス語で発音すると「Eros, c'est la vie(性愛、それが人生さ)」と聞こえます。

なお、『L.H.O.O.Q』も『泉』と同じくらいに評価が高く、2017年10月に開かれたオークションで63万2500ユーロ(当時約8,460万円)で落札されました。

彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(大ガラス)

1923年に「未完」として制作が止まってしまった作品ですが、マルセル・デュシャンのキャリアの中で重要な位置にある作品です。

下部が独身者(男性)、上部が花嫁(女性)を表現しています。

デュシャンは、独身者の自己愛的な側面が機械の反復性と偏執性に似ていると感じ、この作品を作りました。下部に描かれている様々なマシーンの行程で9人の独身男性の性欲が気化し、上部の花嫁の脱衣を促すというストーリーが描かれています。

この作品のタイトルは文法上少し奇妙な感じがしますが、通称『大ガラス』と呼ばれています。1915年から1923年の間、8年かけて制作されましたが完成するに至りませんでした。(未完成のままにするとデュシャンが決定)

ガラスのヒビも作品の一部だと思いがちですが、これは1926年にブルックリン美術館で展示された後に移動するときに事故で入ったものです。

参考:マルセル・デュシャン公式サイトの画像を参照 彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも

晩年 - 1.水の落下、2.照明用ガス、が与えられたとせよ

1944年〜66年の間に制作されていたインスタレーション作品です。扉の穴を覗くと、裸の女性が横たわる様子を見ることができます。

1923年の『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(大ガラス)』以降、デュシャンは作品を作るのを止めてしまってチェスに没頭していたと思われていました。そのため、デュシャンの死後にこの作品が見つかったときは驚きの声があがりました。

なお、作品に込められた意味は明らかになっていません。見る人の解釈に委ねられているあたりが現代アートらしいですね。

参考:マルセル・デュシャン公式サイトの画像を参照 1.水の落下、2.照明用ガス、が与えられたとせよ

マルセル・デュシャンが人生後半に作品をほとんど作らなかった理由

マルセル・デュシャンは1887年生まれです。初のレディ・メイド作品『自転車の車輪』を発表したのは1913年で26歳、話題になった『泉』を発表した1917年は30歳でした。

『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(大ガラス)』が1923年に未完のまま区切りを付けられたのは36歳で、81歳で他界するのでの間は作品を発表していません。(死後に『1.水の落下、2.照明用ガス、が与えられたとせよ』が発見されました)

人生の後半はチェスに興じ、セミプロのレベルだと評価されるほどでしたが、なぜデュシャンは作品を発表しなくなったのでしょうか。

デュシャン自身が詳しく語った記録はないのですが、過去の発言から「近代以降の『美術』に対する懐疑心が原因なのでは?」と推測されています。

作品を発表することは無かったものの、『トランクの中の箱(デュシャンのそれまでの作品をミニチュアのように一つのトランクに収めたもの)』など、それまでの作品のミニチュアコレクションと呼べるものを作成するなど、デュシャンは制作活動を続けていました。

また、デュシャンはマン・レイ、キャサリン・ドライヤーと共にソシエテ・アノニム(株式会社という意味)を運営し、芸術作品の目利き役として活動しました。ダダやシュルレアリスムの展覧会にも展示会場のデザインなどに協力することもあり、芸術界を支える存在として活動していたようです。

マルセル・デュシャン, Public domain, via Wikimedia Commons.

国内で見られるマルセル・デュシャンの作品

マルセル・デュシャンの作品は京都国立近代美術館に14点、国立国際美術館に6点所蔵されています。

京都国立近代美術館

(制作年順)
・三つの停止原器(1913年)
・自転車の車輪(1913年)
・瓶乾燥器(1914年)
・折れた腕の前に(1915年)
・櫛(1916年)
・秘めた音で(1916年)
・旅行者用折りたたみ品(1916年)
・泉(1917年)
・罠(1917年)
・帽子掛け(1917年)
・パリの空気50cc(1919年)
・フレッシュ・ウィドウ(1920年)
・ローズ・セラヴィよ、なぜくしゃみをしない(1921年)
・トランクの中の箱(1935年)

京都国立近代美術館

国立国際美術館

・L.H.O.O.Q.(1919年)
・彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁さえも(グリーン・ボックス)(1935年)
・ロト・レリーフ(1935年)
・トランクのなかの箱(1936年)
・触ってください(1947年)
・花嫁(1965年)

国立国際美術館

まとめ

マルセル・デュシャンは芸術の概念を大きく変えました。
それまでは「(作品が)美しければ、芸術だ」という考えでしたが、レディ・メイド作品が登場したことで「(作品がどうであれ)鑑賞し、解釈を考えることも芸術(の一部)だ」という考えに変わりました。

美術史上の丁寧な考察も重要ですが、デュシャンの作品は解説が無くても見る人を惹きつける魅力があります。

日本国内でも見ることができます。機会があれば国立国際美術館(東京)、京都国立近代美術館(京都)を訪れてみてくださいね!

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