鉄道がなくなった北海道「留萌市」 路線廃止から見える観光再生の可能性とは? 希望はまだあるのか?

留萌市の衰退と変貌

1970(昭和45)年の留萌駅(画像:写真AC)

1970(昭和45)年の留萌駅(画像:写真AC)

 筆者(増淵敏之、文化地理学者)は、7月下旬に北海道北西部の留萌市を訪れた。2023年3月にJR留萌本線の石狩沼田~留萌間が廃止されたため、札幌から留萌への公共交通手段はバスだけとなっている。

 午前10時前に羽田空港を出発し、新千歳空港でバスに乗り換えて、夕方に留萌に到着した。移動には北海道中央バスを利用した。

 留萌はかつてニシン漁で栄え、近隣には炭鉱も多くあった。1967(昭和42)年には人口が4万2469人に達したが、2024年6月には1万8377人(57%減)に減少している。鉄道駅の廃止によって、今後の展望はさらに不透明だ。

 もともと4万人以上が住んでいた地域なので、中心市街地は現在の人口に対して広く、喫茶店や飲食店も多い。しかし、廃墟の建物も目立っている。

 留萌市の印象は“小規模な小樽”といった感じだ。小樽市も1964年には人口20万7093人を記録したが、2024年6月には10万5427人に減少している。

 しかし、小樽市は観光都市として国内外に広く知られており、2023年度の観光客数は761万2100人(前年度比87.3%増)だった。一方、留萌市の観光客数は44万9000人で、年々増加傾向にあるが、小樽には遠く及ばない。

旧JR駅跡地と再開発の行方

市内の幸町3丁目バス停。筆者撮影(画像:増淵敏之)

市内の幸町3丁目バス停。筆者撮影(画像:増淵敏之)

 JRが廃止されただけでなく、市内バスの時刻表を見ると、1時間に1本(17時台最終)という路線もある。

 高齢化率が拡大している現実を踏まえると、このインフラ事情は厳しい。車社会の地域ではあるが、冬の降雪も厳しく、高齢者には厳しい環境である。特に市立病院が中心市街地にないため、多くの住民はバスを利用して通院せざるを得ない。

 市役所職員に車で案内してもらった。旧JR留萌駅は廃駅となり、跡地再開発の計画がある。市役所は老朽化しており、中心市街地からやや離れているため、複合施設化の計画があるという。

 また、道の駅が旧JR留萌駅の近隣にあることから、アウトドアビレッジを整備する計画もあった。しかし、資材費の高騰などにより事業費が約41億円に膨らみ、財政負担を懸念した留萌市が規模縮小を決定したことなどから、モンベルを核テナントとする複合施設で進めることになった。

書店復活と音楽人

 2010年、最盛期には5軒あった書店がこの街から消えた。翌年春、三省堂書店札幌支店が新学期を迎えた児童向けに本の出張販売を行ったのを機に、本好きの主婦たちが「三省堂書店を留萌に呼び隊」を結成し、署名活動を開始した。

 当初、三省堂書店は留萌への出店に難色を示したが、北海道庁の後押しもあり、2011年、郊外のイオンモール内に10万冊の品ぞろえを誇る「留萌ブックセンターby三省堂書店」が、人口30万人以上の都市にしか出店しないという同社の原則を破ってオープンした。

 街から本屋が一度消えた一方で、CDショップは健在だ。吉崎レコード楽器店は市街地の錦町にある。ちなみに。留萌周辺は

・佐藤勝(映画音楽の巨匠)
・宮川泰(作曲家。和製ポップミュージックの草分け的存在のひとり)
・池田ダン(バンドマスター。音楽番組「夜のヒットスタジオ」などで活躍)
・森田公一(作曲家。1969年“森田公一とトップギャラン”でデビュー)
・あがた森魚(フォークシンガー)
・細坪基佳(フォークデュオ「ふきのとう」のメンバー。隣接する沼田町出身)
・吉村秀樹、射守矢雄、小松正宏(ロックバンド「ブラッドサースティ・ブッチャーズ」のメンバー)
・掟ポルシェ(ニューウエーブバンド「ロマンポルシェ」のメンバー)
・上原子友康(ロックバンド「怒髪天」のメンバー)

など、知る人ぞ知る音楽人の出身地である。

 ただ、音楽関係者に限らず、人口が減少すると「才能」が生まれる可能性も必然的に低くなるのが現実だ。

音楽の力で街を活性化

市役所付近からの風景。筆者撮影(画像:増淵敏之)

市役所付近からの風景。筆者撮影(画像:増淵敏之)

 吉崎レコード楽器店の佐伯結さんと少し話をした。佐伯さんは留萌市地域おこし協力隊の隊員でもある。筆者は以前、ネット記事で佐伯さんを知り、ぜひ会いたいと思っていたのだ。

 全国的にフェスティバルが増えているが、

・群馬県高崎市
・京都府舞鶴市

など音楽をまちづくりに活用し始めている自治体もある。 これを留萌で再現するには綿密な計画と長期的な覚悟が必要だ。

 佐伯さんが運営しているウェブサイトには、音楽関係者へのインタビューがいくつか掲載されており、ゆかりの地を示すマップも作成されている。これは、コンテンツツーリズムの萌芽(ほうが)といえるかもしれない。

 コンテンツツーリズムとは、コンテンツ(今回なら音楽)の舞台となる土地を訪れる観光行動のことだ。これにより、ミュージシャンの哲学や思想、感性を体験することができる。一種の“ファンダム”ともいえるだろう(筆者はコンテンツツーリズム学会の会長を務めている)。

廃線後もつなぐ希望

1970(昭和45)年の留萌駅(画像:写真AC)

1970(昭和45)年の留萌駅(画像:写真AC)

 JRの廃線によって厳しい状況にある留萌。しかし、希望が完全に失われたわけではない。模索は続いているが、「留萌ブックセンターby三省堂書店」の経緯や佐伯さんのような地道な活動が今後の指針になるかもしれない。筆者も機会があれば再訪したいと思っている。

 筆者にとって留萌は、1981(昭和56)年公開の映画『駅 STATION』(高倉健主演、倉本聰脚本)のイメージが強い。この映画の主なロケ地は、すでに廃線となった増毛(ましけ)と、高倉健演じる主人公の故郷である雄冬(おふゆ)だが、JR留萌駅構内でも撮影が行われた。

 この映画が撮影された時点で、留萌の人口は3万5000人だった。その後、人口は半減している。この作品には、JR留萌本線が重要な役割を果たしていた時代が映し出されているが、その時代は戻ることはない。ただし、希望が完全に失われたわけではない。

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