「ごみ出しに1万5000円」 町内会の退会者に命じられた利用料! 福井地裁の判決が突きつけた“地域崩壊”の危機とは
04/22 11:51
ごみ出しにも市場原理
ある日突然、当たり前のように使っていたごみ収集所が使えなくなったとしたら――。福井県で起きた、町内会を退会した男性が「ごみ収集所を使う権利」を裁判で訴え、勝ち取ったというニュースは、ひとつの“ご近所トラブル”を超え、都市生活の基礎構造そのものを揺さぶっている(『福井新聞』2025年4月17日付け記事)。
判決の要点はこうだ。裁判所は、退会者がごみ収集所(以下、ごみステーション)を使用するには
「年1万5000円」
の負担が適切であると認定した。利用拒否は認められないという判断である一方、無料ではない。これは単なる金銭の話にとどまらず、都市の基礎サービスを誰が、どのように維持し、支えるのかという問いかけそのものだ。
私たちは今、地域コミュニティーというアナログインフラの見えない価値に、初めて市場価格がついた瞬間を目撃しているのかもしれない。
自治と行政の境界線
市民であれば、家庭ごみの回収は行政が行う当然のサービスだと感じるだろう。しかし実際の運用は、地域住民が自主的に運営する町内会が大きく関与している。
・ごみステーションの清掃やルール管理
・防犯カメラの設置
・不法投棄への対応
まで、行政では手の届かない部分を担っているのが町内会だ。
つまり、ごみの収集という一見公共に見えるサービスの運用実態は、民間の協働体制に委ねられている。この構造が明文化されないまま長年続いてきたことで、
「町内会に入っていない人はごみを出すな」
という話が全国各地で繰り返されるようになった。だが今回、裁判所が下した1万5000円という価格設定は、そうした暗黙の了解を数値化し、表舞台に引きずり出した。これは、都市生活における見えないコストに初めてタグをつける試みともいえる。
地域福祉支える町内会の維持コスト
判決では、町内会全体の活動経費を約186万円とし、市の補助金を差し引いた約157万円を住民世帯数106で割ることで、「非会員」住民が年に負担すべき金額を導き出した。1万5000円とはつまり、町内会の活動そのものを維持するための共益費という性格を帯びている。
これはごみの回収費用だけを意味しない。
・防犯灯
・道路の小規模修繕
・除雪
・夏祭り
・地域見守り活動
といった地域福祉全般の維持コストだ。逆にいえば、町内会は小さな自治体のように、都市機能の末端を担う存在でもある。
町内会はボランティア組織でありながら、極めて高度な「生活サービスのサプライヤー」として機能しているのだ。
共有経済が地域生活を変革
近年、町内会からの退会者が増えている。その背景には、合理的な理由があると考えられる。退会の主な理由は、
・プライバシーへの懸念
・行事への参加圧力
・担い手不足
だ。これらはすべてコスト対効果の視点から説明できる。
まず、プライバシーへの懸念について。町内会の活動には、しばしば個人情報や日常生活に関わる情報が共有される。これが住民にとって不安の原因となることが多い。経済的に見ると、住民は自分のプライバシーを守るために、町内会という所有の形から離れ、必要なサービスだけを利用する選択が合理的だと感じるようになる。
次に、行事への参加圧力がある。町内会はボランティア活動として運営されているが、その活動には参加義務的な面が強い。これが住民にとって負担になることがある。時間や労力をかけるコストが支払うべき便益を上回ると感じれば、退会という選択は理にかなっている。住民は無理に参加するよりも、必要な時だけサービスを利用した方がコストを最小限に抑えられると判断する。
さらに、担い手不足も理由のひとつだ。町内会はボランティア組織であり、その運営には多大な時間と労力が必要だ。しかし、担い手が不足している現状では、住民が活動に参加する意欲が減るのは自然なことだ。効率的に運営できない町内会に対し、住民はサブスクリプション型のサービス提供を選ぶことに魅力を感じるようになっている。
このような背景を考慮すると、今回の判決が示した退会しても金を払えばインフラが使えるという新しい方程式は、地域生活のあり方を根本から変える可能性がある。これまでは地域生活のインフラが所有の形で提供されていたが、今後は利用という形で提供される方向に進むと予想される。例えば、
・住宅のシェア
・電動キックボードの共有
・レンタサイクル
など、都市部で進行中の共有経済モデルは、所有よりも利用の方が効率的で経済的に合理的だと考える人々が増えていることを示している。
ごみ収集といったインフラにおいても、同様の動きが起きている。今後、町内会というコミュニティーモデルから、必要なサービスを必要な分だけ支払うサブスクリプションモデルへの移行が進むかもしれない。これにより、住民はよりフレキシブルで経済的な選択肢を持つことができるようになる。この流れは、従来の地域コミュニティーと個々の生活との関係を再定義し、都市生活における新たな経済的パラダイムを築く第一歩となるかもしれない。
モノ言うインフラ使用料
人とモノが都市の中でどう動くか。それを支えるのは、交通機関だけではない。日々の暮らしを滑らかにする地域の装置すべてがモビリティの一部だ。ごみステーションもまた、人々の生活動線上に配置された一種の社会インフラである。
では、そのインフラにアクセスする権利を持つには、どうすればいいのか?
従来は、地域に溶け込み、貢献することで、暗黙の使用権を得てきた。だが人口減少と都市の個人化が進むなかで、そのやり方に限界が見えてきた。新たなアクセス手段として支払いが登場したことで、モビリティと地域インフラの関係性に市場原理が介入し始めたのだ。
今回の判決を契機に、他の町でもインフラの利用料を巡る議論が活性化する可能性は高い。特にマンションや新興住宅地では、自治会との距離感があいまいな住民も多い。公園の清掃、防犯カメラの設置、災害時の連携体制といった地域インフラの負担を誰が担うかを巡る摩擦は今後さらに表面化するだろう。
ひとたび価格がついたサービスには、比較と分断が生まれる。払った人と払わない人、利用する人としない人。それはインフラそのもののあり方を根底から変えていく。
一方で、透明な価格設定によって町内会という組織に説明責任と対価性が芽生え、新たな信頼の構築にもつながる可能性がある。ボランティア精神だけでは持たない時代に入りつつある中で、地域活動を持続可能なサービスへと転換する契機になるのではないか。
自治なき都市のコスト再編
今回のケースが突きつける問いは、極めてシンプルかつ本質的だ。街の生活サービスは誰が担い、どう維持されるべきなのか。そして、その価値に対して私たちはいくら支払うべきなのか。
町内会という名もなき自治の存在意義が問われる今、都市生活の前提そのものを見直す局面に差し掛かっている。そこには、従来とは異なる都市の機能のかたちと、次世代に求められる“つながり”の再定義が求められている。