「日本人を優先すべき」「安い労働力が欲しいだけ」――そんな綺麗事が「路線バス」を壊す? 赤字73%&欠員2万人の現実が迫る、インフラ維持の最終選択

路線バス人材政策の転換点

路線バス(画像:写真AC)

路線バス(画像:写真AC)

 2025年12月24日、FNNプライムオンラインは、全国で初めて特定技能制度を活用し、路線バスのドライバーに外国人を起用したニュースを報じた(「路線バスで初 外国人運転手起用 人手不足解消へ 東京・沖縄で開始」)。これは日本の交通インフラにおいて、外国人ドライバーが実務上のデビューを飾った歴史的な事例である。

 運行を担う東京バス(東京都北区)は、東京都内と沖縄県でフィリピン出身のドライバー五人を起用し、彼らは長期間の訓練を経て特定技能1号を取得した。当初は日本人ドライバーが同乗してサポートを行うが、数か月後には独り立ちする予定である。

 この施策の背景には、深刻な人手不足による路線の減便が常態化している現実がある。今回の参入は、これまでのバス事業が依存してきた「地域内での日本人採用」という閉鎖的な労働モデルが物理的な限界に達したことを示している。

 今後は国内完結型の雇用から、世界の労働市場からリソースを確保する開放的な調達構造へと大きく舵を切ることになる。運行管理や安全技能を国籍という属性から切り離し、客観的な技能基準によって運転職の専門性を定める重要な局面を迎えたといえるだろう。

 この記事には多数のコメントが寄せられ、主な論点は次のように整理できる。

・賃金を引き上げれば日本人は確保できるとする賃金重視の見方
・外国人起用は低コスト労働力の確保にすぎないとの疑念
・大型二種免許にともなう高度な専門性と責任の重さを指摘する声
・カスタマーハラスメントや長時間拘束、精神的負担の大きさへの問題提起
・外国人ドライバーによる安全性低下を懸念する不安や恐怖
・自動運転が将来的にすべてを解決するとの期待論
・移民政策や治安、宗教問題へと論点が逸脱する議論
・日本人雇用を優先すべきだとする倫理的主張
・欧米の事例を引き合いに出した国際比較
・路線バス自体の必要性を否定する極端な市場観

これらの意見はいずれも感情的強度は高い一方、インフラ維持にともなう社会的な痛みを自身の問題として捉えきれていない、当事者意識の欠如を浮き彫りにしている。

人口構造と制度設計のズレ

路線バス(画像:写真AC)

路線バス(画像:写真AC)

 出発点は、深刻な労働人口の減少と高齢化にある。国内の総人口はこの20年間で400万人近く減り、それに伴いバスの客足も先細り続けている。国土交通省によれば、2013年度から23年度までの10年間で廃止された路線は、全国で約1万5900キロに達した。地方を中心に需要は縮小しているものの、路線バスは廃止できない公共インフラとして位置づけられており、「市場は縮小するが維持義務は残る」という矛盾が生じている。

 ここで考慮すべきは、特定の路線維持が困難になることは、その地点の利便性消失に留まらず、交通網全体の接続価値を低下させ、地域全体の資産価値を損なう連鎖を引き起こすリスクである。行政上の維持義務が事業者の退出の自由を奪っている結果、不採算部門を切り離せず、健全な部門の投資余力まで奪い去るという、インフラ維持のパラドックスが構造的な硬直化を招いている。

 路線バスは自由価格ではなく、運賃改定には行政の認可が必要である。補助金も赤字補填が中心で、構造改善に活用しにくい。こうした仕組みにより、かつて機能していた

「黒字路線の利益で赤字路線を支える」

内部補助モデルは、全体的な需要減によって完全に崩壊し、収益の循環が断絶している。

 実際、国土交通省の調べでは、2023年度は乗り合いバス事業者217社のうち約73%が赤字に陥っている。行政による運賃統制が、供給不足を価格上昇に反映させる市場の自浄作用を妨げており、需給バランスの歪みを人為的に固定化させている側面は無視できない。

事業者経営の歪み

外国人ドライバーの採用実態調査。2025年9月、物流・旅客事業の採用担当者・経営者321人を対象に実施(画像:レバレジーズ)

外国人ドライバーの採用実態調査。2025年9月、物流・旅客事業の採用担当者・経営者321人を対象に実施(画像:レバレジーズ)

 事業者は黒字路線で赤字路線を内部補填し、観光や貸切事業で得た収益を路線維持に回して延命を図ってきた。しかし、観光事業のような景気変動に左右されやすい収益源に、安定供給が義務付けられた路線バスの存続を委ねる経営構造は極めて脆弱である。

 人手不足を減便で調整し、無理な延命措置を続けることは、車両の更新やデジタル化への投資を遅延させることにつながる。帝国データバンクの調査では、2023年に減便や廃止を行った事業者のほぼ全てが「運転士不足」を理由に挙げた。こうした負債の先送りは、長期的にはサービス品質と安全性というバス事業の本質的な価値を、音を立てて毀損させていくことになる。

 現実には、早朝・深夜や観光ピーク時、あるいは過疎地など、日本人による労働供給が物理的に成立しない条件が各地で発生している。バス業界の平均年収は461万円(2024年)と、全産業平均を66万円も下回る。低賃金と「2024年問題」による労働規制の強化が拍車をかけ、就業者の平均年齢は55.3歳に達するなど、若い人材の確保は極めて困難だ。日本バス協会の試算によれば、運転士の不足数は2030年度には3万6000人にまで拡大するとみられている(『日本経済新聞』2025年7月19日付け)。

 物流・旅客事業のドライバー採用担当者・経営者321人を対象にしたレバレジーズの調査(2025年11月6日発表、調査は9月実施)によれば、ドライバー採用を行う企業の約4割がすでに外国人の「雇用経験がある」と回答しており、さらに約3割が今後の「増員予定」を掲げている。

 一方でコメント欄では、全国一律に日本人を雇うべきだという倫理的主張が繰り返されている。しかし、物流や建設など他産業との人材争奪戦は激化しており、特定の職種だけを優遇しても社会全体の欠員は解消されない。

 少子高齢化社会において、すべての路線に日本人のドライバーを配置し続けることは、他産業から希少な労働資源を不合理に奪う結果を招く。我々は、日本人による供給にこだわりインフラを消滅させるのか、外国人活用によって移動の手段を確保するのか、という最終的な選択を迫られている。

特定技能制度という暫定解

外国人ドライバーの採用実態調査。2025年9月、物流・旅客事業の採用担当者・経営者321人を対象に実施(画像:レバレジーズ)

外国人ドライバーの採用実態調査。2025年9月、物流・旅客事業の採用担当者・経営者321人を対象に実施(画像:レバレジーズ)

 特定技能制度は、期限付きで技能や業務が限定されるため、定着リスクが懸念されている。しかしその本質は、自動運転技術が完全に社会実装されるまでの「死の谷」をしのぐための、労働供給の時間軸を調整する装置である。外国人ドライバーはコスト削減の手段ではなく、物理的に空白となった運転席を埋めるために投入されている。

 また、外国人を受け入れるために必要な業務の可視化やマニュアルの整備は、結果として属人的だった運行現場を近代化させ、労働環境を平準化させる副次的効果も期待できる。さらに、日本が国際的に「選ばれる就業先」であり続けられるかという視点も、今後のインフラ維持を考える上で避けては通れない。

 実際の負荷は、依然として現場の個人に集中している。事業者が抱く不安は具体的だ。前述の調査では、採用における懸念点として「日本語でのコミュニケーション能力(63.2%)」や「日本の交通ルール・安全運転意識の理解(47.0%)」が上位に挙がっている。

 こうした懸念を背景に、2025年10月に実施された「外免切替の厳格化」についても、導入直前の同調査で採用担当者の約7割が必要性を感じていた。これは事故リスクの減少を期待する切実な声であったと同時に、人手不足の解消と「安全の担保」という、極めて狭い土俵での舵取りを現場が今なお強いられ続けていることの証左でもある。

 外国人ドライバーは言語的な壁や事故時の責任問題というリスクを背負い、日本人ドライバーは指導負担と責任の二重化に直面している。だが、過剰な接客品質を期待する日本的な慣習が、多国籍な現場において「運送契約の遂行」という本来の役割に純化されるきっかけとなれば、全ドライバーの心理的負荷を軽減する転換点になり得るだろう。

 現場の摩擦や調整の苦労を事業者にのみ押し付けるのではなく、利用者側も「異文化によるインフラ維持」というコストを許容する覚悟を持てるか。その受容性こそが、制度が動き出し、実務が始まった今、多文化共生社会の存続を左右するカギとなっている。

利用者側の矛盾

路線バス(画像:写真AC)

路線バス(画像:写真AC)

 利用者は、値上げや減便に反対しながら、同時に安全性とサービス品質の維持を強く要求する傾向がある。この矛盾の調整コストは、最終的に現場の労働者や外国人ドライバーに転嫁されている。低負担と高品質、そして日本人によるサービスを同時に求め続ける姿勢は、誰かの自己犠牲の上に成り立つ「持続不可能な公共性」を享受し続けてきたことを意味する。

 最低限の移動手段の確保という権利と、過剰なサービスレベルを混同し、すべてのコスト負担から目を背ける消費者心理が、インフラ崩壊の遠因となっている。

 路線バスが廃止されれば、高齢者の移動制約だけでなく、医療・介護費の増大、地域経済の縮小といった二次的・三次的な社会的損失が発生する。普段利用しない住民にとっても、バス路線の存在はいざという時の備えとしての価値を持つが、その無形の価値に対する対価意識は極めて希薄である。

 移動手段の喪失が招く健康寿命の短縮や自治体財政の圧迫という目に見えにくい巨大なコストは、外国人をドライバーとして受け入れることの是非を論じる際に、必ず秤にかけるべき要素である。

 これまでの議論では、責任の所在や負担主体の選択、そして制度と市場の接合点が巧妙に回避されてきた。これまで誰かの過度な負担によって隠蔽されてきたインフラ維持のコストは、外国人ドライバーの登場という形で白日の下にさらされた。

 利用者は、不便を甘受してでも日本人限定の体制を維持するのか、それとも文化の差異を許容して移動の自由を確保するのか、自らの生活に照らして判断を下さなければならない。今回の外国人起用は、日本社会が新たな社会契約を結び直すための、避けられない出発点である。

移動の自由を維持するための社会契約

路線バス(画像:写真AC)

路線バス(画像:写真AC)

 今回の外国人ドライバーの起用は、日本の交通インフラが長年抱えてきた矛盾が臨界点に達したことを示す象徴的な出来事だ。これまで我々は、現場の過度な負担や不透明な内部補助によって、低価格かつ高品質なサービスを当然のように享受してきた。しかし、国内の生産年齢人口が急激に減少する中で、これまでのモデルを維持することはもはや物理的に不可能である。

 運転席に座る人の属性が変わることは、人手不足の解消という側面を超えて、公共交通というサービスをどう定義し、その存続のために何を差し出すのかを我々に問い直している。安全性や品質に対する過剰な期待を捨てきれず、一方で負担や変化を拒み続けるのであれば、待ち受けているのはインフラの完全な消滅だ。

 移動の手段を失うことは、地域社会の活力を奪い、孤立を生み出すという目に見えにくい巨大な損失に直結する。今回デビューしたドライバーたちは、そうした事態を回避するために投入された実効性のある手段にほかならない。

 これからも移動の自由を享受し続けるためには、提供側と利用側が互いの現実を直視し、歩み寄る必要がある。異文化を受け入れる際の摩擦や不便さを、インフラを維持するための必要経費として社会全体で共有できるか。今、我々は移動に関わる産業構造の持続可能性をかけた、重大な選択の場に立っている。

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