なぜ駅前に「外食チェーン店」は集まるのか? 明治東京にあった意外なルーツとは
07/04 20:51
格安西洋料理店おとわ亭の繁盛

1904(明治37)年1月、神田神保町に「三銭均一食道楽おとわ亭」という西洋料理店がオープンした。翌年の雑誌『食道楽』第一巻第八号の記事・清九郎「妙なうまい物案内(其五)」によると、おとわ亭は開店と同時に大評判となり、客が“我も我もと押しかけた”そうだ。
おとわ亭が大評判となった理由は、三銭均一という格安の値段で西洋料理を提供したことにある。
明治時代中ごろまでの西洋料理店は高級な店が多く、現在でいうと数千円から数万円の値段でフルコースを提供するのが一般的であった。一方、おとわ亭が提供する三銭という値段は、かけそば一杯(明治37年当時で二銭)程度であった。さすがに安すぎて料理の実質がともなわなかったため、しばらくすると七銭に値上げしたが、それでも当時の相場としては格安。安い西洋料理目当てに、客が殺到したのである。
大評判となったおとわ亭は、翌年には牛込、本郷に支店を拡張するのだが、なぜ格安で西洋料理を提供できたのであろうか。その秘密は、神田神保町、牛込、本郷という立地にあった。いずれも近くに大学等の高等教育機関があり、全国から上京した学生たちの下宿街となっていた。
若い学生の旺盛な食欲を背景として、薄利多売で西洋料理を売るというのが、おとわ亭のビジネスモデルだったのだ。
学生の胃袋を掴んだ本郷の特盛カレー

おとわ亭が本郷に支店を開店した頃に、東京帝国大学で教鞭をとっていたのが、作家の夏目漱石。夏目漱石の小説『三四郎』には、帝国大学の学生である主人公の三四郎が、本郷の「淀見軒」でカレーを食べる描写がある。
“昼飯を食いに下宿へ帰ろうと思ったら、きのうポンチ絵をかいた男が来て、おいおいと言いながら、本郷の通りの淀見軒という所に引っ張って行って、ライスカレーを食わした。”
この淀見軒は実在した西洋料理店。雑誌『食道楽』第三巻第七号の記事「學生の食道樂」に、当時の淀見軒の様子が描かれている。
“何時行つてみても殆(ほと)んど空席のない”“客は何れも學生で十錢のライスカレー一皿を食べて歸(かえ)る”という、カレーが評判の、学生相手の繁昌店だったようだ。
同じく本郷にあったおとわ亭のカレーは七銭だったが、淀見軒のものは他店の二倍はあるという特盛カレーなので、十銭でもお得感は高い。淀見軒もまた、学生の胃袋目当てに薄利多売で儲ける店だったのだ。
さて、「學生の食道樂」では本郷の他に、神田、早稲田という学生街の飲食店が紹介されているが、本郷や神田と異なり早稲田にはほとんど飲食店がないという。おとわ亭が支店を展開したのも早稲田ではなく、早稲田の学生の下宿が多い牛込であった。
なぜ同じ学生街なのに、明治時代末の早稲田の飲食店は発展していなかったのか。それは当時、路面電車が開通していなかったからなのである。
明治の駅前に誕生した飲食チェーン店

おとわ亭が店舗を展開した神田神保町、牛込、本郷には、明治38年当時既に路面電車の停車場が存在していた。現在も東京などの鉄道網が発達した都市部では、牛丼などの飲食チェーン店は駅前に出店することが多い。この鉄道乗降客という人流を取り込んで薄利多売で売るという飲食チェーン店の元祖が、おとわ亭だったのである。
さて、路面電車の停車場前に飲食店を開店するメリットは、乗降客だけではない。慶応大学の学生であった作家・獅子文六は、キャンパスのある三田から、神田神保町のおとわ亭に通っていた(『好食つれづれ草』)。白木正光編『大東京うまいもの食べある記』によると、ビジネス街である丸の内からおとわ亭に出かける者もいたという。
「學生の食道樂」によると、淀見軒は本郷の学生だけではなく、東京の他の地域の学生の間でも有名であった。路面電車に乗ってカレーを食べに来る学生がいたということだ。また、本郷の牛鍋の店「江知勝」では、牛込や神田の学生も宴会を開いたという。
おとわ亭や淀見軒、江知勝は、飲食店目当てにわざわざ路面電車に乗ってやってくる「食べ歩き」の客を取り込んだのである
路面電車の開通が生んだ庶民の「食べ歩き」

路面電車以前にも、食べ歩きを趣味としていた人物がいた。作家の斎藤緑雨である。
あちこちの店に通うための交通手段は、人力車。斎藤緑雨の父親は医者であり、自家用人力車を持ち、お抱え人力車夫を雇っていたのだ。自家用人力車を持たないものは、飲食店に行くたびに高価な料金を払い、人力車を雇う必要があった。路面電車以前の食べ歩きは、金のかかる趣味だったのである。
線路を馬車が走る東京馬車鉄道が開通したのは1882(明治15)年。しかしその路線は新橋-浅草間に限られており、路面電車に比較すると料金は高く、速度は遅かった。
1903年以降、馬車鉄道は路面電車へと転換していく。安くて速い路面電車網が東京中に張り巡らされることで、庶民が気軽に「食べ歩き」に出かけるようになったのである。