中井貴一 3歳の誕生日を迎える直前、大スターだった父・佐田啓二を交通事故で失って。世間は父をよく知っているのに、僕にはその実像がわからず…

(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が訊く。第47回は俳優の中井貴一さん。3歳直前に当時大スターだった俳優の父・佐田啓二を亡くした中井さん。将来自分が俳優になるとは思っていなかったそうで――。(撮影:岡本隆史)

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【写真】『風のガーデン』撮影時の一コマ。緒形拳さんと

家に父がいる感覚がわからなくて

テレビドラマに限っても、『風のガーデン』(2008年)のようなシリアスな作品から『最後から二番目の恋』(12~25年)のようなコミカルなものまで、広い芸域で大人の男の魅力を遺憾なく発揮する中井貴一さん。

天下の二枚目俳優だった父・佐田啓二を交通事故で失ったのは、中井さんが3歳の誕生日を迎える直前。そのことが人生にどんな影響をもたらしたのだろうか。

――そうですね。僕の一番最初の転機は、まさにその3歳直前で父を失った時だったんだろうな、と思いますね。作品の中で動く父、喋る父が残っているだけに、逆にもやもやしたものが自分の心の中に残っていくんです。世間は父をよく知っているのに、僕は父の実像がわからないというか……。

父は当時大スターでしたから、残された家族は生活には困らなかったでしょうと言われたこともありました。でも37歳の若さで亡くなりましたから、貯蓄なんてなかったですし、母は父の保険金だけで姉の貴惠と僕を育てなきゃならなかった。

だからお金の苦労をさせてもらったことが、今の自分を形成していくうえで、すごく大きかったと思いますね。

昭和39年、蓼科にて中井さんと両親(写真提供:中井さん)

小学校3年の時、友達の家に遊びに行ったんです。夕方になり、夕飯の支度ができているようなのに、なぜだか食べ始める雰囲気じゃない。それで友達に、「食べないの?」と訊いたら、「お父さんが帰って来てから」って。

僕には家に父親がいる感覚がまったくわからなかったので、へえ、そういうものなのか、と思いました。やがて友達のお父さんが帰って来て、給料袋らしきものをお母さんに手渡すと、「ありがとうございます、ご苦労さまでした」と言ってる。

友達は、「今日は給料日だから、ご飯がちょっと豪華なんだよ」って。その時、うちはどうやって食べているんだろうとふと思うわけですよ。小3の僕が。

それで帰って母に「うちはあの封筒がないのに、どうやって食べてるの?」って訊いたら、母が「貯めた池の中から水を汲み出して、みんなで飲んでるの」と言う。「その水は増えないの?」「一切増えない。だから大事に飲まなきゃね」。その夜のことは強烈に印象に残りました。じゃあ我慢しなくちゃ、って。

我が家では、姉は女の子だから我慢しなくていいけど、男のお前は我慢しろ、と家長教育を受けてきたんです。今の時代からしたら、意味がわからないでしょうけどね。とにかく、父が亡くなったことが、僕の人格形成期に大きく影響しているので、これが第1の転機です。

お父様の映像は映画館でご覧になるのですか? お母様もご一緒に?

――はい。当時、フィルムセンターというのが京橋にあり、母と一緒によく行きました。母も見たかったんでしょうね。僕も親父の姿を求めていたんでしょうけど、見てもわからないんですよ。

たとえば『君の名は』みたいな色っぽい作品で恋愛する姿を見ても、父だとは思えない。逆に『喜びも悲しみも幾歳月』で老いていく父を見て、あれが親父なのかな、って思ったり。小津安二郎先生の作品に出ている父が、一番自然で父らしい感じはしましたけどね。

『君の名は』を見た後で、母に「親父はなんであの人(岸惠子さん)と結婚しなかったんだろう」って訊いたら、「あの人と結婚してたら、あなたなんて生まれてこなかったのよ」って。今思うと母に失礼でしたね。(笑)

父が亡くなった途端に芸能界との関わりはパタッとなくなりました。ただ、俳優の笠智衆さんと三井弘次さんは、毎年8月17日の父の命日には必ずお参りに来てくださって。

映画界の方とお会いするのはそれだけでしたので、将来自分が俳優になるなんてことはまったく考えもしませんでしたね。

後編につづく

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