あの「<わかってほしい>は周りへの期待だから、わかってほしいと少しでも思ってしまうととてつもなく疲れる」

画像提供:『哲学なんていらない哲学』(あの:著/KADOKAWA)
2025年9月には自身初となる日本武道館公演を開催。音楽活動にとどまらず、ジャンルの垣根を越えて活躍の幅を広げているアーティスト・あの。デビュー5周年を迎え、いじめられた過去や復讐を原動力とする理由、そしてこれからの決意などを赤裸々に綴った《あの流哲学書》『哲学なんていらない哲学』を発表しました。「当たり前のことを〈当たり前じゃない〉と言うために書きたい。」と書き下ろした本書より、一部を抜粋して紹介します。

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【写真】共感されたい気持ちが強くなっていくと、だんだん自分の意見より共感を呼びやすい意見を選んで自分がいなくなる

わかってほしいが一番疲れる

わかってほしいと少しでも思ってしまうととてつもなく疲れる。

わかってほしい=周りへの期待、だから。

周りに期待しても裏切られることのほうが多いのに、なぜ期待する?

バカだから。でもこのバカさがなかったら、人間じゃないしな。

何度痛い目を見ても、もしかしたら次は大丈夫とか思って、また裏切られての繰り返し。

他人に自分のことをわかってもらおうなんて自分にも期待しすぎだ。

相手の話をわかろうと耳を傾けたり努力をしたりはできるけど、
僕は他人のことをわかるわけがない。違う人間だから。

逆も然り。

僕の話、僕のこと、他人にわかるわけがないと思っている。

君の話、君のこと、全てを100%わかることは不可能だ。

わかってほしいと少しでも思うととてつもなく疲れる。みんなわかってくれないから。

わかったら楽だから人のことをわかりたいけど、どれだけ話を聞いても噛み砕いても時間をかけて話を重ねても、わからないものはわからない。

僕は今までアイドルグループもロックバンドもやったことがある。複数人いてグループで活動するわけだからコミュニケーションがどんなに苦手であろうと避けられない。

何度も話し合いをしてきたけど、僕がそのうちの誰かに共感したことは一度もないし、僕が話すことは大体、「違うと思う」と否定されたり、「そんなことできないからやめよう」と止められたり、それ以外はポカーンとされるだけだった。

反論してくる人とは話し合いを重ねる必要があるが、その話し合いでもいつもお互いが理解できないまま平行線でしかなかった。

みんなが「こうするべき」と言っていても自分は「こうしたほうがいいと思う」という違う意見を持っていることが多くて、それを言うと「わがまま」と思われる。

でもみんなと同じように僕も意見を持っているだけだし、相手も僕と同じように自分の意見を持っているだけだ。

なのに、あまりにも理解されないし相手のことが理解できなくて本当にコミュニケーションがつらくて、話し合いをする部屋の前まで行っては引き返したり、話し合いが話し合いにならず誰かが怒鳴り散らしたり冷笑してバカにしたりして空気が悪くなる。論点がずれて喧嘩に勝ちたいだけの会話で話し合いにならない人もいる。

僕は複数人での活動でその経験しかないのでコミュニケーションが元々苦手だったけどどんどん嫌いになった。多分どっか自分に期待してしまっていたから。

『哲学なんていらない哲学』(あの:著/KADOKAWA)

人の顔色だけは窺って、敏感に感じ取って気づけば自分の気持ちは何も言えない。

この世界は僕もあなたも正しくて、正しいからわかり合えないし違いを認められない。

話をしてわかってくれないなら結果でわからせてやると思って、頑張ってしまったりするけど、多分それでもわかってもらえないことのほうが多いと思う。

だから、わかってもらいたいと思って人と話すのはもうやめた。

わかってもらえなくてもいい、それでも僕は僕の言葉で。僕の気持ちに嘘はつかない。

理解されることが目的で話しているのではない。

どれだけ自分の気持ちに誠実に正直になるか。そこに焦点を絞ってお互いが会話できたらそれはコミュニケーションだと思うようになった。

SNSでも人々の意見が飛び交うけど、わかり合えるわけがないからあれだけ反論し合っても不毛な言い争いが行われてる。

もう期待するのはやめよう、わかり合えないから。

もうわかってもらうのはやめよう、期待通りにはいかないから。

共感されたい気持ちが強くなっていくと、だんだん自分の意見より共感を呼びやすい意見を選んで自分がいなくなる。


SNSでは文章というものは昔よりバズ目的とされてきてしまったし、共感される=バズるだから、バズっているものには正論や真実はそんなに含まれていない。正論かどうか真実がどうかじゃなく、それを正論だと思いたいか、それを真実だと信じたいか、人々の願いが集中したものがバズる。

真実なんてどうでもいい。自分の願望、自分に都合のいいものを正論ということにし、真実ということにする。脳で勝手に都合よく処理されてるだけ。

そのバズを呼ぶため共感されるために真実ではなく嘘の情報や捏造をされたものがネットに広まる。踊らされて気持ちよくなってるバカで溢れているけど、そこに合わせて自分の意見も流れるように共感に押されていったら、本当にバーチャル世界に生きていることとなんら変わらないと思う。

せっかく生身の人間なのにまるで真実を知ろうとしない、自分のことすら本当を見失う。気持ちいいほうに向かってバーチャルを生きる。

共感なんてされなくていい。知ろうとすることは必要かもしれないけど、知ってもらおう共感してもらおうなんて感情捨てたほうがいい。

バズらなくていいから自分の気持ちを大切にしよう。

わかってもらわなくていいから自分の意見を大切にしよう。

※本稿は、『哲学なんていらない哲学』(あの:著/KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

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