江原啓之が「共感してくれる人に出会いたい」と思わない理由。〈わかってほしい〉と願う人ほど、心のどこかで…

(写真提供:Photo AC)
「家運隆昌」と聞いて、どのような印象を受けますか? スピリチュアリストでオペラ歌手の江原啓之さんは、この言葉について、「偶然の幸運に恵まれることではなく、あらゆる出来事を通してたましいが学び、家という器が少しずつ整えられていく、その歩みそのもの」だと語ります。そこで今回は、江原さんの著書『家運隆昌-幸運を招き入れる暮らし方』から抜粋し、幸せの方向へ歩き出すためのヒントをご紹介します。

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【書影】幸せはまず、あなたが変わることから。江原啓之『家運隆昌-幸運を招き入れる暮らし方』

わかってくれる人に出会いたい!?

「美味しいものを食べたときに、『これ、美味しいね』と言い合える相手がほしい」

そう言う人がいますが、私はあまり共感しません。なぜなら――味覚は一人ひとり違うものだからです。

好みも違えば、食べ方についても理解されないことがありますよね。

たとえば私は、温かいご飯の上にところてんをのせて食べるのが大好きです。

夏場はとくに、冷えたところてんをのせ、青のりをたっぷり振ってサラサラっといただくのが最高だと思っています。

ところが、この話を取材現場でしたところ、周囲の人たちが一斉に「え~!?」「ぬるくなるじゃないですか!」「ところてんってご飯にのせるものなんですか?」と驚きの声を上げたのです。もちろん誰も共感してくれませんが、私は「ほら、やっぱりね」と思っただけでした。そもそも共感してほしいわけではありません。どんな食べ方をしていようと、一人で食べているなら誰にも迷惑はかかりませんし、自分が満足していればそれでよいのです。

自分が美味しいと思えるかどうか

だから私は、「この味、この食べ方をわかってくれる人に出会いたい」とも思いませんし、好みを人に押しつけることもしません。

むしろ、「わかってほしい」「共感してほしい」と強く願う人ほど、心のどこかに「自分だけ違うと思われたくない」「おかしいと思われたらイヤだ」という恐れが潜んでいるのかもしれません。

自分の幸せや満足は、誰かの共感に委ねるものではありません。

他人に理解されるかどうかより、自分が美味しいと思えるかどうか――そこが大切なのです。

家族も他人も、付き合い方は同じ

家族同士の関わり方は、互いを一人の人間として尊重し、過度に踏み込まない「腹六分」が基本です。これは他人との関係にもそのまま当てはまります。

家族にも他人にも、ほどよい距離感を保って接すること――これができていないと、外で起きたトラブルを家に持ち帰り、家でも揉めごとが発生し……と、家中が落ち着かなくなってしまいます。結果、家運が衰退へ向かいかねません。

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もちろん、人によっては外でも家でも揉めて、それを“イベント”として楽しめるタイプもいるでしょう。

たとえば、メロンの切り方一つで家族がケンカになり、「こんな家、もう出て行く!」と誰かが飛び出しそうになり、「お兄ちゃん、待ってよ」と妹が引き止める――まるで映画『男はつらいよ』のようなドタバタを面白がれる人も、世の中にはいるはずです。

むしろ、「なんだか腹が立つ!」と衝動的にケンカしてしまうよりも、「ストレス発散としての小競り合いなんだ」とわかっているケンカのほうが、ある意味では理性的です。自覚があるぶん、どこかで引き返すこともできるでしょう。

相手を尊重しつつ、自分の領域も大切に

とはいえ、たとえ“イベント”として割り切っていたとしても、くだらないことで毎日のようにケンカをしていれば、やはり疲れてしまいます。家庭が安らぎの場でなくなってしまうのです。

だからこそ、家族も他人も、基本の付き合い方は同じ。腹六分で、適度な距離を保つこと。相手を尊重しつつ、自分の領域も大切にすること。

この姿勢を身につけていれば、余計な衝突も生まれにくくなり、心も家も整っていきます。無駄な疲れを抱えず、健やかな人間関係を築くためにも、意識してみてください。

※本稿は、『家運隆昌-幸運を招き入れる暮らし方』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

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