市村正親「喫茶店、鉄板焼き、クラブ…足繁く通った店のママさんたちにかわいがってもらえたのは、母からの〈ある教え〉があったから」
04/23 12:30
婦人公論.jp

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ビーフストロガノフに釘付け
これまでいろんな人にお世話になってきました。お芝居で関わった人はもちろんのこと、それ以外でも。なかでもふっと思い出すのは、足繁く通った店のママさんたちなんだよね。
最初が舞台芸術学院に通っていた頃、みんながたまり場にしていた喫茶店「ノエル」のフジタジュンコさん。90歳になった今も芝居を観に来てくれています。
舞芸を卒業して西村晃さんの付き人をしていた3年間は、西村さんの事務所の1階にある「ハナ」という喫茶店に行っていました。今村昌平さんや映画人が集まっている店で、ママがすごくいい人で。
僕が付き人を辞めて劇団四季に入ることになったときには、当時四季がジャン・ジロドゥの戯曲をよく上演していたから、「私、ジロドゥ全集とジャン・アヌイ全集を持ってるから、いっちゃんにあげる」といただいたりしたの。
後に『ホテルビーナス』という映画でホテルの女主人を演じたときは、そのママをイメージしていたんだよ。

四季に入って東中野の清風荘というアパートに住んでいた24~29歳の頃は、東中野の駅に向かう途中にある「アンバー」っていう店のママにとてもよくしてもらいました。
とくに最初の時期は電話がなかったから、店の電話を貸してもらって実家に電話してね。「もしもし母ちゃん?」と言いながら、ほかのお客さんが食べているビーフストロガノフが美味しそうで釘付けになっていたんだけど(笑)。
僕はいつもカレーばかりだったから、いつか食べたいと思ってた。
付き人時代に僕は、「小川亜矢子バレエスタジオ」でバレエのレッスンを受けていて、その亜矢子先生に連れて行ってもらったのが、原宿のセントラルアパートにあった鉄板焼「杉の子」。
ここのママのウキちゃんは宝塚のOGの方で、鳳蘭さんも常連でした。亜矢子先生がとにかくいろんな人や店を知っているから、そのうちの誰かがまた別の店に連れて行ってくれたりして、僕もいろいろな店に行くようになったんだよね。
モテ期だったんだ!?
そうやって連れて行ってもらった店には決まって、文化人が集まっていたんだよ。六本木の星条旗通りにあったバー「ザ・クレードル」に来ていたのは、ピーター・シェーファーやアーノルド・ウェスカー。
そこのママが、僕の『エクウス』を観て感動したっていうので、「うちに来たときはタダでいいよ。出世払いでいいから」と言ってくれたりね。
それから、銀座に《上海お春》っていう伝説のママがいて、その人は『ジーザス・クライスト・スーパースター』を観て、「ジーザスが磔になって言う『私は渇いてます』って言う台詞、あれがいいわ」なんて言ってくれて。
『エクウス』『ジーザス』『コーラスライン』と、僕もすごく燃えていた頃だったから、モテ期だったんだね。(笑)
銀座といえば、クラブ「グレ」の光安久美子ママを忘れちゃいけない。店は代替わりしてるんだけど、久々に光安ママに電話してみようかな。
あと、「銀座 汁八」という日本料理のお店では、「汁八会」という集まりを月1回やっていた時期があって、山田五十鈴先生や森光子さん、作家の先生や演出家もいらしていて。いろいろな人にお世話になりました。
あるとき持ち帰りを頼もうと飛び込みで入った「おけい寿司」のママのおけいさんにも、かわいがってもらった。日本画家のモデルをしていたくらい、きれいな人でね。
なぜそうなったかわからないんだけど、おけいさんが先生になって、僕はお琴を習わされたんだよ。(笑)
浅利慶太さんに連れて行ってもらった恵比寿の「キッチン・ボン」は、お客さんに美空ひばりさんや長嶋茂雄さんといった錚々たる顔ぶれがいて、それも納得するくらいシャリアピンステーキとボルシチが美味しい店だった。うちの息子たちも連れて行ったよ。
そこのママというかオバチャンがまた強烈で(笑)、「(しわがれ声でモノマネして)浅利さんだって若い頃は悪さばっかりしてたんだからね。とくに浅利が一番悪かったからね」って全部僕に暴露するの。
なんだったんだろうな、こんなにみんなにかわいがってもらえたのは。一人っ子で母ちゃんっ子だから、自分で言うのも変だけど、甘え上手なのかもしれないね。
それに母は、「人との付き合いは来てもらうもんじゃない。こっちから行くんだよ。こっちが行けば、向こうも来てくれるんだよ」が口ぐせだったから、僕も飛び込んでいけた。すべては母のおかげだね。