波乃久里子さんが『徹子の部屋』に60年来の友、水谷八重子さんと共に登場。「歌舞伎の家に生まれ、芸に恋して生きて」初舞台からの70年を語り尽くす

「とにかく父は私を愛してくれていましたから、自分には合わない役でも、私が出られる演目を選んでしまうんです。」(撮影:岡本隆史)
2026年4月27日の『徹子の部屋』に波乃久里子さんが水谷八重子さんと共に登場。60年来の友だという2人の出会いや、最近の出来事について語ります。今回は波乃さんがこれまでの人生について語った『婦人公論』2020年8月25日号の記事を再配信します。
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歌舞伎役者十七代目中村勘三郎の長女として生まれた波乃久里子さん。母は六代目尾上菊五郎の娘、弟は十八代目勘三郎という役者ファミリーに育った。劇団新派の舞台を中心に活躍を続け、芸歴70年を迎えた今、出演作品とその秘話を語り尽くす。十八代勘三郎の評伝を上梓し、波乃さんの舞台も長年観てきたエッセイストの関容子さんが聞いた。2020年8月に行ったインタビューを配信します。(撮影=岡本隆史)

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【写真】久里子さん4歳、父・十七代中村勘三郎さんとの初舞台で

川口松太郎先生から「新派に来ないか」と

──4歳で、父・十七代目中村勘三郎さんの『一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)』の女小姓で初舞台でした。

波乃 あれは父が私を舞台に出したくて、それまでは男の小姓だったのを、女小姓にしたらしいんです。とにかく父は私を愛してくれていましたから、自分には合わない役でも、私が出られる演目を選んでしまうんです。

名古屋山三とか白井権八とかの芝居には、禿(かむろ)が出ますでしょ。『廓文章(くるわぶんしょう)』の「吉田家」に禿で出たときは、中村歌右衛門のおじちゃまの夕霧がそれは綺麗で、今におじちゃまのお嫁さんになる、って言ってました。(笑)

──女の子が歌舞伎に出られるギリギリの年齢まで出ておられましたね。『筆屋幸兵衛(ふでやこうべえ)』の盲目のお雪とか、『文七元結(ぶんしちもっとい)』の孝行娘お久とか。

波乃 『筆屋幸兵衛』を作家の川口松太郎先生が観にいらして、「あれは勘三郎の娘かい? このまま歌舞伎にいたら15で終わっちゃうじゃないか。新派に来ないか」って。私、役者の娘なのにそのころ「新派」って知らなかった。だから今の人たちが知らないのは当然です。

でも私、初代の水谷八重子先生だけは知っていました。母と観に行って、天女みたいに美しい人、と思って、当時は演劇雑誌に載っていた水谷先生の写真を夢中で集めてた。裏にパパの顔があろうと切り抜いて(笑)、スクラップブックに貼っていましたね。

──川口松太郎さんを唸らせたお雪やお久のうまさは評判で、後年、いろんな若い俳優が教えを乞いに。

波乃 お久は、染五郎時代の今の幸四郎さんが、父の勘三郎と親子の役のときに教えました。それから松たか子ちゃんは、弟の勘三郎と親子の役でしたね。お雪は、中村福助さんとか坂東新悟さんとか、ずいぶんお教えしています。だって、私はみんなパパ直伝でしたからね。

『文七元結』には、お久が吉原の角海老の奥座敷で五十両というお金を父親に手渡すところがあるでしょう。これを持って行ってもう博奕なんかに手を出さないで……と「いいかい?」「あいよ」「いいかい?」「あいよ」「いいね?」「あいよ~っ」というところ。パパが私の手をギュッとして、間の指示を出すんだから、いい間のはずですよね。

そうそう、パパの長年のお弟子の小山三(こさんざ)。お茶をひいてるお女郎の役が持ち役なんですけどね、この人が出るといかにも大晦日の吉原。それを新橋の芸者さんの小喜美さんが句にして、「小山三で角海老賑はふ初芝居」、素敵でしょ。

──新派での初舞台は泉鏡花の『婦系図(おんなけいず)』で、令嬢妙子の役。のちには主人公お蔦が持ち役になりました。

波乃 新派はこの妙子の役者を探していて、それで私に川口先生の白羽の矢が立ったわけだけど、そのとき私は16歳。水谷八重子先生は、最初、勘三郎の娘を弟子に取ることに難色を示していらして、パパが絶対口出ししないという条件で弟子入りを許されました。しましたけどね、口出し(笑)。

そのときの『婦系図』は、お蔦が水谷先生で、早瀬主税が花柳章太郎先生。妙子の生みの母親、芸者の小芳は市川翠扇先生でした。それで舞台稽古のとき、私がお蔦の家の格子戸を「ごめんください」ってこう、科を作って開けたら、花柳先生が怒鳴る。「妙子は踊りみたいな下品なものは習ってないんだ。令嬢は茶の湯か琴だろ?」って。水谷先生は何もおっしゃらない。「今にわかるからいいのよ」って。もう両極端でしたね。

花柳章太郎先生が私を奈落に呼んで

──花柳章太郎は、新派の名女方で、立役も兼ねた名優でした。久里子さんの母方の祖父、六代目尾上菊五郎を大崇拝していたとか。

波乃 私に向かって柏手(かしわで)打って拝んだりなさる。「お前を拝んでるわけじゃない。お前の中に流れてる六代目の血に対して敬意を表しているんだ」って。幕間に銀座で私のお洋服を買ってきてくださったりするんだけど、私は少しもそれに応えてなかった。「何、このおじさんは」って思ってました。

そのころ新派は花柳派、水谷派って二つの流れがあったんですね。あるとき花柳先生が私を奈落(舞台の地下)へ呼んで、「お前が俺のこと好きじゃないのは、おじちゃんは別にそれでいいんだよ。でも人の口がうるさいから、ともかく好きだ、と言っといておくれよ」って。

それからこうもおっしゃった。「八重ちゃんのこと、マリア様って言ってんだって? 頼むからおじちゃんのこと、お釈迦様って言っておくれよ」(笑)。このごろよーくわかります。派閥みたいなものを劇団の中に作っちゃいけなかったんですよ。

──その花柳章太郎は、昭和40年1月6日に亡くなっている。久里子さんが新派に入って、3年にも満たなかったのでは。

波乃 ええ、先生最後の舞台が樋口一葉の『大つごもり』、18歳のお峰でした。私はお峰の奉公先のお嬢さん役。玄関を上がるときに下駄は脱ぎっぱなし、着物の裾が汚れたって気にしない。私はただ気づかずにそうしていただけなのに、「この子はすごい」って絶賛してくださって。「これが本物のお嬢さんてものですよ」って。

このとき花柳先生はもう70歳なので、鬘を取ると頭は薄いし、ほんとにおじいさんなんだけど、芸の力ってすごい。お峰は貧乏な伯父さんから借金を頼まれて、奥様にいくら頼んでも大晦日で忙しいからと相手にされない。思い余って手文庫から2円盗むと、そこの家の放蕩息子の石之助がそれを見ていて、あとのお金を全部盗って行ってくれちゃう。死ぬ覚悟でいたお峰が幕切れで「神様がいた」ってつぶやくんです。この台詞、台本にはないんです。花柳先生の工夫です。

このときすでに先生は体の具合が悪そうでした。それで私に代役が来るかもしれないと思って、自分の役が終わってもずっと舞台の袖で見ておりました。本当は役が終わったらすぐに引っこまないと、衣装屋さんと床山さんに悪いんですよ。でも、叱られても何でも、幕切れまでずっと見ていました。先生の「神様がいた」は一生忘れない。私、お峰をやる人には必ずそれを教えていますよ。

父・十七代勘三郎さんと久里子さん(1983年)

──『大つごもり』のお峰はその後、久里子さんの当たり役となり、菊田一夫演劇賞を受賞しました。当たり役といえば、『明治一代女』の叶家お梅も。芸者のお梅が歌舞伎役者の沢村仙枝に貢ぐために箱屋(芸者の付き人)の巳之吉から借金し、ついに殺す羽目になります。

波乃 私、大好きです、このお芝居。弟と甥に褒められました。甥(六代目中村勘九郎さん)が小学6年くらいのとき、新橋演舞場に観に来て、「マロン!」──私、クリコだからね──「ヴィスコンティの世界だね」って。浜町河岸の銀世界の中でくり広げられる殺しの場面がそう見えたんでしょうね。

そしたら弟の勘三郎もあとから観に来て、「なんだ、ビスケットかよ」なんて言いながら、「お姉ちゃま、これは一生の仕事だよ、お姉ちゃまのものにしたほうがいい」なんて。あの人は水谷先生のお梅を観てないですからね。(笑)

──『鶴八鶴次郎』は、新内語りと三味線弾きの2人が、好き同士でいながらついに結ばれない。鶴次郎役は十七代、十八代勘三郎さんの当たり役でしたが、久里子さんは肉親なので相手役に回れませんでしたね。

波乃 そうです。パパの相手は初代の八重子先生で、弟の相手は今の八重子お姉ちゃま。私の鶴次郎さんは十二代目市川團十郎さん。だ~い好きな人だから嬉しかった! でも團十郎さんは新内語りじゃなくて義太夫語りみたいな人。江戸っ子のポンポンした喧嘩じゃなくて、モタモタした喧嘩(笑)。好きな人とやっていると照れちゃって、素の波乃久里子に戻っちゃうから駄目でしたね。

──團十郎さんとは『日本橋』『婦系図』ほか、ずいぶん新派で共演なさってます。

波乃 『滝口入道の恋』のとき、作者の舟橋聖一先生が横笛の役を私に、って指名してくださった。この芝居は戦後間もなく、初代猿翁(二代目市川猿之助さん)とうちの八重子先生が初演して、花道の、扇でかくしたキスシーンが大評判になって2ヵ月ロングランになった、というもの。それを私が大好きな團十郎さまと共演となったから、舞台で泣くわ鼻水は出すわで、大変なことになっちゃった。

そしたら休憩のときにママが飛んで来て、ママは六代目(尾上)菊五郎の娘だから、自分がこんな酷い女優を産むはずがない、と思っている。「今日の切符代とお弁当代をお客様全員に返す」って泣き喚いてました。私もわんわん泣いてパンダみたいな目になっちゃいました。隣の部屋で團十郎さまも聞いていて、「怖いお母さんですねぇ、今日はうちに泊まりにいらっしゃい」って。離れがありますからね。行きませんでしたけど。(笑)

──『婦系図』には「月は晴れても心は闇だ」とか「別れろ切れろは芸者のときに言うことよ」とか、名台詞がたくさんあります。

波乃 私はずうっと妙子役だったんですが、吉右衛門兄さんの主税で私がお蔦のときの話。そのころの芸者の粋で伝法な言い廻しで、「ください」「……じゃありませんか」を「くだはい」「じゃんせんか」というのが流行ったんです。こういう言い廻しって、自分の血となり肉とならなくちゃ自然な調子にならない。

八重子先生が、「死ぬまでできないわ」とおっしゃったので、「先生、簡単ですよ。くだはい、じゃんせんか」って私が言ったら、プッとお笑いになった。それで吉右衛門兄さんがお蔦の私に、楽(千秋楽)の3日前くらいだったか「くだはい、じゃんせんか、やってみろよ」って。

それで私がふんだんに使っちゃったら、幕になった途端、吉右衛門兄さんが笑い転げて、「もうやめろ、やめろ」って。先生さえ何十年もかかってできなかったのに、芸を舐めちゃいけない。

──『婦系図』に杉村春子さんが小芳の役で出演したことがありました。

波乃 八重子お姉ちゃまがお蔦で私がまた妙子。私は言わば妙子のベテラン。それを杉村先生は文学座からいらして最初の小芳なのに、毎日ダメ出しなの。「その着物、違うわ、妙子じゃないわ」って。それで松竹の衣裳部に探しに行くんだけど、いつも「違うわ」って。それで楽の前の日、自前を持って行ったらやっとオーケーが出た。先生にとって新派も新劇もない、演劇は一つ、ってことでしょうね。

有吉佐和子さんの書いた『華岡青洲の妻』は、杉村先生が青洲の母・於継で、私が青洲の妹の小陸。そのときのダメ出しもすごかった。於継が死んでから幕まで20分くらいあるのにずうーっと私を待ってくださって。小陸のダメ出しを1時間くらい。だから私は杉村先生に育てられたのかもしれない。八重子先生は何もおっしゃらない方だったから。

あのときは、父の勘三郎が青洲で、八重子先生が妻の加恵。当時、ママがまず有吉先生の本を読んで、「これ、パパがやったら?」って。パパもその気になったら、八重子先生が、「勘三郎さんは台詞を憶えないから無理」っておっしゃったの。それを聞いて父は、丸暗記しましたね。本読みのとき、台本置いてそらで言っていましたから。やっぱりパパの役者魂ってすごいと思う。

「再開の幕があいたら今まで以上に大切に、心して舞台をつとめたいと思っております。」

三島由紀夫からの手紙には

──久里子さんの目標とするところは、初代水谷八重子と杉村春子と?

波乃 もう一人、山田五十鈴先生。この方は女役者ね。うちの八重子先生は芸術家、杉村先生は本気に女優でしたね。山田先生の華麗さ、杉村先生の上手さ、うちの先生の深さ……。先生は綺麗だけが先に目立って損しているかもしれないけれど、やっぱりそのすごいところは、深さですね。この3人をミックスしたような女優が出ないかな、と思うけど、無理かしらね。

──三島由紀夫の『鹿鳴館』では、朝子役は初演が杉村春子、のちに新派で初代八重子が演じた。

波乃 私、前半の元新橋芸者という風情と佇まいは、やっぱりうちの先生だと思う。でも後半の朝子がローブ・デコルテを着て、偽の壮士たちを追い払う派手な大芝居となると、杉村先生ですよね。

これについてはとっておきの話があるの。言っちゃおうかな。水谷先生が、どうしても『鹿鳴館』を欲しいって、杉村先生のところにもらいに行ったんですって。そしたら「あなた、やってごらんなさい、私よりいいと思いますわ、って笑ったのよ、お春さんが」って、先生が私におっしゃるの。「あれ、自信よね、自信があるからやらせるんで、ちょっと怖いなと思った」って。

でも日生劇場をいっぱいにして当たりを取ったでしょ。そしたら、その何年か後に、三島先生が「お春ちゃんから来た手紙だよ」って、うちの先生にそれをお見せになったの。「あの朝子は違うんじゃないか、せっかく私のために書いてくれた朝子を……」って大批判が書いてあって、先生はそれを見たとき、自分が勝った、と思ったんですって。だってこれ、ジェラシーでしょ、って。私だったら泣いちゃいますけどね。うちの先生はやっぱり強い女ですよね。

──『遊女夕霧』も新潟訛りの吉原の女の純情に泣かされる芝居です。

波乃 好きな芝居ですね。初演の花柳先生は、新潟弁の衣装屋のおばちゃんをモデルにして、哀れが深くてとても素敵でした。先生が亡くなったすぐあとで、水谷先生が、「私、遊女の役やったことないから一回だけやらせてみて」とおっしゃって。でも泥水に浸かった感じがなかった。天人みたいな人だから、お女郎にはなり切れなかった。

見ていらした川口先生が、「駄目だ、こりゃ」っておっしゃってたのが、楽屋へ行ったら、「八重ちゃん、よかったよ」って。芝居って、そういう世界なんですよ。川口先生も可愛いタヌキでした。

まだまだ意欲があります

──これからライフワークとして、一葉作品と一葉関連の芝居を次々に演じてみる、というのはどうですか?

波乃 それは、お客さまさえ来てくだされば、やりたいですよ。『大つごもり』に『十三夜』。それから『にごりえ』。それと『明治の雪』(北條秀司作)。これはやりたいですね。樋口一葉と、その文学の師である半井桃水の物語。

そうそう、寺島しのぶちゃんが永井愛さんの『書く女』という芝居で一葉を演じるとき、永井さんに、「久里子さんの『明治の雪』を見ておいて」と言われたらしいの。それでビデオをお貸ししましたけどね。しのぶちゃんや松たか子ちゃんも新派の芝居、いろいろやってくれたらいいのにね。

──今後の新派はどうなっていくでしょうか。

波乃 歌舞伎から、喜多村緑郎さんと河合雪之丞さんという若い二人が来てくれましたからね。それに尾上松也さんの妹の春本由香も張り切ってますし、八重子お姉ちゃまも私もまだまだ意欲があります。コロナ禍での自粛生活でいろいろなことを考え直し、見つめ直しましたから、再開の幕があいたら今まで以上に大切に、心して舞台をつとめたいと思っております。

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