吉田羊「就活で会社勤めをしているイメージが湧かず、小劇団へ。〈下積み時代〉と言われるけれど、純粋にお芝居を楽しめていた時代だった」
05/10 12:30
婦人公論.jp

シェイクスピア劇『リチャード三世』に主演、初の悪役に挑戦している吉田羊さん。ほめ上手だった両親の思い出から、現在の健康習慣まで、芝居への情熱とともに語る。(構成:篠藤ゆり 撮影:清水朝子)
* * * * * * *
舞台のためにも万全の体調づくりを
役者の仕事は、体が資本です。普段から免疫力を上げたいと思い、《免活》を心掛けています。
大事なのは、適度な運動、質のいい睡眠、そしてバランスのとれた食事。いろいろな健康法がありますが、やはりこの3つに尽きると思います。
運動はランニングと、パーソナルトレーナーに付いてジムでのトレーニング。睡眠については、快眠に適した温度と湿度を保てる寝具と寝巻きというのを見つけて使ってみたり、就寝1時間くらい前に入浴したり。工夫したところ、とてもよく眠れるようになりました。
食事は野菜中心で、必ず発酵食品を摂ります。最近、気に入っているのは、かつお節、煮干し、昆布、干ししいたけで出汁を取り、大きめの梅干しを1つ入れて、千切りの大根を加えて煮たスープです。時々、お味噌を入れて味を変えたり。
これに玄米ご飯と納豆があれば十分満足。1週間、そのメニューが続いても飽きません。
以前よりさほど、「あれも食べたい、これも食べたい」と思わなくなってきたんです。いつも同じものを食べていると、体が整う気がするし、体調の変化にも気づきやすくなります。
たまに脳や体が疲れていると、ジャンクなものが食べたくなって、「あぁ、疲れてるんだ」と気づく。そういうときは我慢してストレスを溜めるより、いっそジャンクフードを食べてみる。
とりあえずその時点では満足してストレス発散できるし、「でも、体に合ってないな」と思えば元の食事に戻れます。
最近、故郷の味、母の味を恋しく感じます。生まれ育ったのは福岡ですが、もともと父は長崎出身。長崎のお雑煮は、お澄ましに焼きたてのブリと唐人菜という菜っ葉を入れたもの。それをお正月以外にも食べたくなって、試行錯誤しています。
母は生前、私が年末年始に帰省するとお雑煮をせっせと作ってくれました。それを真似しようとしても同じ味にならないんです。母に聞くと「目分量よ」。それじゃあ、全然、参考にならない(笑)。
しかも実家は7人暮らしで、お客さんも多かった。お正月には20人くらいにお雑煮を振る舞うのがならわしで。大量に作るからこそのおいしさもあったと思います。
いつも応援してくれた父と母
最近、時間が作れるときは、なるべく実家がある福岡に帰省するようしています。自宅介護を受けている父がいて、姉が面倒を見ているので、姉をサポートする意味でも帰るようにしているんです。残された時間を考えると、なるべく一緒にいたいですし。
父はいま目がほとんど見えないし、ぼんやりしていることが多くなっていますが、姉やご近所の方から「羊ちゃん、ドラマに出てたよ」と聞くと、「ふーん」と反応するようです。
母を9年前に見送りました。父は介護が始まる直前まで、自分で台所に立って料理もしていたし、家事もしていたんですよ。
母は長年、幼稚園の先生をしていてけっこう忙しく、父は聖職者という仕事柄、家にいることも多かったので、進んで掃除や洗濯もしていました。だから私は大きくなるまで、男性も当然、家事をするものだと思って育ったんです。
私は5人きょうだいの末っ子。両親が甘やかしてくれたぶん、きょうだいは「あなただけ特別扱いはしません」と厳しかったですよ(笑)。子ども時代に憧れたのは「一人部屋で過ごすこと」。大家族ゆえに、一人になる時間がなかったですから。
小さい頃は、テレビっ子でした。ドラマや『ザ・ベストテン』などの歌番組が好きで、松田聖子ちゃんの物真似をして歌ったり、ドラマのセリフを真似したり。すると、家族が「上手!」とほめてくれるんです。いま思えば、芝居の世界へ飛び込むよう背中を押してくれたのは、両親かもしれません。
小学校の学芸会でお芝居をやった際、「セリフ回しが上手ね」とほめられたことがありました。人に自慢できる特技は何もなかったけれど、唯一ほめられたのがセリフ回しだったので、いまだに鮮明に覚えています。
かといって、若いうちから役者を目指したかというと、そうではなく……就職活動をする時期になり、会社勤めをしているイメージが湧かないな、と思って。
じゃあ、何かやりたいことがあるかしらと考えたとき、昔から演じることが好きだったと思い出して、「いっちょオーディションを受けてみよう!」と思い立ったのでした。
お芝居とはどういうものなのかも知らないまま、たまたま情報誌の『ぴあ』に小劇団の募集広告があったので、受けてみた次第で。初舞台でいただいた役がとても素敵だったこともあり、そこから芝居にどっぷり浸かってしまいました。
小劇団の舞台だけでは、もちろん食べていけません。まわりからは「生活が大変でしょう」と言われましたが、好きなことを続けるためのアルバイトだったので、別に苦ではなかったですね。
後にメディアの方々から「下積み時代」などと言われることも多かったのですが、自分としては純粋にお芝居を楽しめていた時代だと思います。
両親にいきなり「東京に行って芝居をやりたい」と言ったとき、一切反対されませんでした。それどころか、母からは「そうすると思っていた」と言われて。すべてお見通しだったんですね。
テレビに出るようになってからは、両親は画面を通して私の安否確認ができると、すごく喜んでいました。