遅咲きの歌姫 Ms.OOJA「ドリカムさんの『三日月』を歌ったら友達が涙…」デパート店員からプロシンガーに。デビュー15年目にたどりついた新境地とは?
05/12 08:00
婦人公論.jp

(構成:丸山あかね 写真提供:ユニバーサルシグマ)
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物心ついた頃から歌が好きだった
三重県の四日市市の出身です。自営業の父と専業主婦の母、4人きょうだいという家族構成の中、私はわがまま長女として育ちました。たとえばテレビのチャンネル権は有無を言わさず私にあるとか。なので弟たちや妹はずいぶんと我慢を強いられていたのではないでしょうか。(笑)
物心ついた頃から歌が好きだったのですが、もとを正せば両親が歌好きなのです。車の中には常に歌謡曲が流れていました。当時、よく聴いていたのは、母のチョイスで聖子さんとか明菜さんとかアン・ルイスさんとか、父が好きな桂銀淑さんの歌とか……。私は自然に歌を覚えて、ドライブ中は歌いまくっていたのを覚えています。
自分の歌を聴いて泣く人がいるんだ!
中学時代に地元にコンテナ型のカラオケボックスができまして、はじめて友達の前で歌を歌った時「上手いね~」って言われたことが忘れられません。あれは本当に嬉しかった。特に成績がいいわけでも、スポーツが得意というわけでもなかったので、人に褒められたことってなかったんです。それだけに一気にテンションが上がって、以来、家の中でもずっと歌っているようになりました。
高校時代はほぼほぼ毎日、放課後にカラオケボックスへ行っていたんですけど、17歳のある日、ドリカムさんの『三日月』を歌ったら、一緒にいた友達が涙していて。「えっ、私の歌で人が泣くんだ」と衝撃を受けました。歌にはそういう力があるんだと気づいたんです。同時に人を感動させるって素敵だなと目覚めて「歌手になりたい!」って思いました。それまで将来のことなんて考えたことなかったんですけど、急にできたんですよ、夢が。
デパートで働きながらクラブで歌っていた日々
同じ頃、友達がヒップホップを習っていると聞いて私も参加することにしました。自分にはダンスの才能はないと思い知ることになったのですが、ダンスイベントで歌ってみたら? という流れが生まれて、小さな小さなステージでしたが私にとっては大きな一歩でした。歌いながら、なんて楽しいんだろうと思っている自分がいたんです。で、やっぱり歌手になりたい、それ以外には考えられないと進学も就職もしないで走り始めました。
とにかく歌いたいと、イベントを通してつながった地元のクラブで週末だけ歌わせてもらうことに。ギャラなんて貰えるわけもなく、なので平日は携帯電話ショップとか喫茶店とか、パチンコ屋さんのワゴン販売とかのアルバイトを掛け持ちしてました。一番長く続けていたのはデパートに入っていたアパレル店の販売員です。四日市の百貨店から始まって、東海地区の百貨店はほぼ制覇したのではないかと思います。なにしろ10年くらいバイト生活をしながら、週末はクラブで歌う日々を送っていたので。

どんな時も「歌をやめる」という選択肢はなかった
クラブではカバー曲を歌ったり、インストルメンタル(伴奏だけの曲)を流して、自分で勝手に歌詞やメロディーを作って歌ったりしてました。だんだん東海地区のいろいろなクラブから声がかかるようになって、活動の拠点を三重から名古屋へ移し、インディーズ(大手に属さない)での活動を開始したのは23歳の時。CDを発表したりと、自分の歌を広く知ってもらえる機会を得ることができたものの、25歳くらいの頃はだいぶ不安に陥ってましたね。これからどうなるのだろうって。
同年代の宇多田ヒカルさんや椎名林檎さんが大活躍していたし、クラブ系でいえばAIさんが近いところにいたけれど、既にスーパースターだったので、いいなぁ、私も彼女達みたいになりたいなぁと思ってました。歌うのは楽しいけれど「このままでいいのか?」と自分に問うと「いいわけないよね」という声が返ってくるみたいな。だからといって歌をやめるという選択肢はなくて……。当時の心境は複雑で上手く言えないのですが、現実問題としては不安なのに、「きっと大丈夫だよ」と自分を信じていて、目をつぶると大きなステージで歌っている自分をイメージすることができたのです。何の根拠もないのに。(笑)
本質的なことに気づいた瞬間
振り返ればいろいろなことがありました。メジャーデビューさせてあげようという人が現れたこともあったんです。期待が大きく膨らんで、でも結局のところ、何も話が動かずに落胆したり、傷ついたり。そんなことが何度かあったので、おいしい話には警戒するようになっていました。そんなある日、ふと、そもそも自分の考え方が間違っているんじゃないかという考えが下りてきたんです。誰かが救い上げてくれるのを待っているけど、それって違うよねって。もっとできることがあるはずなのに、してないよねって。今にして思えば、この気づきが大きかった。本当に気づけて良かったです。そうでなければ運命が転がり始めることはなかったという気がします。
要は何が本質的なことなのかについて考えてみたのです。私は歌が好きで、歌っているのが幸せ。これが本質です。なのに、いつのまにかシンデレラストーリーを夢見て空回りしてる。それってなんかズレてるよって直感的に感じた結果、たとえデビューできなかったとしても、歌を歌う道はあるという答えを導き出しました。さらに、歌い続けていくと決めている以上、基盤づくりをしっかりとしていかなくちゃいけないなと考えて、まずは今いる世界の中でてっぺんを取ろう、全力で勝負してみようってマインドがシフトチェンジした瞬間があったのです。

大人を信じていなかったけど
それを機に私は余計な欲をかなぐり捨てて、純粋に歌とだけ向き合うようになり、すごく自由な気持ちで伸びやかに、そして心から楽しんで歌う自分を取り戻すことができたのを感じました。するとそのタイミングで、他の人の歌を聴くためにクラブに来ていたユニバーサルミュージックの方から声をかけていただくという奇跡的な出来事が起こり、これがメジャーデビューにつながったのです。
何やら不思議な時系列なのですが、話はそんなに簡単ではなくて、スカウトされた時に咄嗟に思ったのは「おいしい話に翻弄されてる場合じゃない」ということでした。本当に大人を信じていなかったので、いただいた名刺も車の後部座席にポイと投げ置いたままでした(笑)。でも具体的に話が進んでいて、熱心に接してくださったので、一歩踏み出してみようかなと気持ちが動いて、その判断が大正解だったのです。
