大神いずみ「女子アナ時代、博多弁の〈ずんだれる〉を堂々と公共放送に乗せた私。〈言い間違え〉の類いを思い出して笑えるのって幸せだ」

野球グラウンド

一日中この景色を眺めています。まだまだクーラーボックスの中身は冷却グッズでいっぱいですが(写真提供◎大神さん 以下すべて)
大神いずみさんは、元読売巨人軍の元木大介さんの妻であり、2人の球児の母でもある。2人の球児の母として伴走する大神さんが日々の思いを綴る。

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【写真】大神さんの台本。日付は31年前の今頃。噛まない秘密の赤丸って?

前回「大神いずみ 野球少年の息子たちに、父・元木大介は〈道具の大切さ〉を教え込む。シューズの砂を出してなくてスタメンを外される世界」はこちら

18歳までは博多弁バリバリだった

わたしは福岡出身で、18歳までは地元の博多弁バリバリな言葉を喋っていた。

「今日なんしとったとー?(今日何してたの?)」
「あした塾げな。遊ぼうと思いよったのに、ほんにしゃあしかぁ。
(あした塾なんだって。遊ぼうと思ってたのにホントめんどくさい。)」

その私が大学の進学で東京(神奈川)に出てきてあっという間にこちらの言葉に慣れ、気がつけば会社に入ってアナウンサーになるための研修を必死で受けていたわけだが…。

ある日ナイター中継終わりの2分間天気予報を担当した時のこと。
15秒の顔出しはフリートークで、「こんばんわ」のあとに一言二言話すことを考える。

新人の頃はこの15秒のコメントを何度も何度も何度も練習して、
本番のカメラに赤いランプがついた瞬間、

ボンっ!!

覚えたコメントが頭の中で真っ白になり、あんなに何百回も練習したのに何も言葉が出てこない。無言のうちに天気図に切り替わって予報の原稿を読む…と言う悪夢を何度も経験した。
(これ、度胸の問題らしく、最初から平気な人は全く言い澱まない。私はまともにできるまで5年はかかった気がしている)

「ずんだれる」て何!!?

この日は夏の猛暑で、朝からロケで外を走り回ったあと会社に帰って夜の天気予報の担当だった。
一日中汗をかいて、頑張ったメイクも衣装もヨレヨレで局に本場ギリギリに戻ってきたので、

「こんばんわ。今日は一日、暑かったですね。汗をかきながら外で過ごしていたら、いつのまにか着ていたブラウスがずんだれてしまっていました。明日も同じような暑さになりそうです。では予報です」

ちょっとこなれたカメラ目線で、発声正しく、最後まで朗らかに笑顔でコメントしきったあと、完璧な予報原稿読み。
時間にもきっちり収まり、完璧なアナウンサーとしての仕事を終えて帰った…つもりだった。

アナウンス部に帰ってみると、先輩方のプスプス刺すような厳しぃいお言葉の嵐。
「ずんだれる」て何!!?

アクセントも完璧だったし…、え?まさか日本中の人がわからない言葉だとはゆめゆめ思っていなかった。
そう、「ズレて垂れ下がる様、だらしがなく見える様子」を「ずんだれる」というのである。

公共放送に笑顔でデデン!とのせてしまった正真正銘の博多弁。
工夫したユーモアでもなくやってしまった、わたしの赤っ恥だ。
実は白状すると、やらかしたのはこれだけじゃないのが怖いんですけど…。

大神天気予報ファイル

大神天気予報ファイル。終わった番組の台本は一切残したことがないのに、これだけは苦労したせいか捨てられません…

「あっちゃがぱーぱー」

わたしに限らず、日常でよく耳にする「言い間違え」「聞き間違え」「空耳」の類いは多い。

他人を気分悪くさせたり傷つけたりするものでなくて、あとでふと思い出すと1人でプッと吹き出してしまうこの類い、わたし、嫌いではない。

ものすごく気分が落ちていたり疲れていたりする時、振り返って1人でププッと笑えるかどうかで、私はその時の自分の重症度を測っている。

本人の名誉のため、誰のことだかは一応伏せておきます。
まあ、似たり寄ったりのことはみんなそれぞれある家族なのだが…。

我が家の息子は3歳くらいの頃、大好きだった「きかんしゃトーマス」に出てくる200くらいの名前を全部覚えていた。
外に連れ歩く時、図鑑を常に持ち歩き、予防接種の待ち時間などに開いては絵を指してキャラクターの名前を言う。
膨大な数、ほとんど正解なのを見て親は密かに「もしかしてうちの子天才なんじゃ…!?」と、期待したものだ。今にして思えばとてもシアワセな思い込み。(今じゃ一つも覚えてないらしい。)

トーマス→「とーます」
パーシー→「ぱーしー」
ゴードン→「ごーどん」
ジェームス→「じぇーむす」
トップハム・ハット卿→「あっちゃがぱーぱー」

なぜか他のは全部言えても、「トップハム・ハット卿」だけは「あっちゃがぱーぱー」としか言えなかった。なんじゃそれ。しかも一文字も合ってないし。

「シンジュクヒガシロ」と「イチアサータ」

ちなみにもう1人の息子は「カーズ」に夢中だったが、名前というより子供用自動車のハンドル捌きがうまく、リビングでのコーナリングやキキーッと急停車する様子がカッコ良すぎで、私も手を叩いて喜びすぎた。
今その才能はどこに活かされているというのだ。野球だといいですね。本当に。

ある時は電車の乗り換えに迷って電話してきて、雑踏のなか自分の声もよく聞こえないような状況で、

「いま、シンジュクヒガシロにいるんだけどぉ〜.」

…東口(ひがしぐち)な。
よく今までそこだけカタカナで読んでたな。

同じような言い間違えでいうと、家族で真面目な話をしていたときのこと。
いろんなことをやってみるけれど、なかなかすぐに結果が出ないのは仕方ないよね、と言う話をしているなかでごくごく当たり前のように、

「…だからそんなイチアサータにはいかないよね」

何語!?
一朝一夕(いっちょういっせき)、なんでそこ突然カタカナで読む?
たしか学校で一度はテストに出て間違えたはず。復習しませんでしたね、こらっ。

私の名前(旧姓)はオオガミ…大噛み

私たち大人は聞き間違えから始まることも多い。
歳を取れば取るほど耳の聞こえ方が怪しくなってきて、特に新しい横文字の言葉など、私の年齢でもその都度確認しないと正しく聞き取れない。

そう!聞いたままその時確認しないでツラっと受け流して覚えるから、次に「言い間違える」のだ。

例えば今年「ボンボローニ」というお菓子の名前をよく耳にするのだが、よぉおく確認して口に出さないと、パッと字を見ただけで知ったかぶりしていたら「ポンポローニ」だの「ボンボロニー」だの読んでしまいそうな私がここに。

言葉の使い方や意味を、改めて確認したり人に聞いたりしなくなってきている自分が、時々怖いなぁと感じる。息子たちの若者言葉も、最初は違和感があったのだが繰り返し聞いているうち慣れてしまって、時々ツルっと自分の口から出そうな時がある。間違った使い方をした日には、オトナとして恥ずかしすぎて熱を出すかもしれないのに。

いやいや皆様、お気をつけてくださいませ。

またある時。
ふざける場面でもないときに映画の話になって、会話がポンポン弾んでいたところへ、

「そうそうそうそう、あれ、パイレーツオブカブリアンね。」

もうなんかジャックスパロウが変なものを被っているようにしか思えない。
しかもその音量よ。間違っとんのになぜ声を張って言い放ったのか不思議。

言葉を噛んだ(言い損じた)のならまだわかるが、私の「ずんだれた」と同じように、胸を張って堂々と。

ちなみに私の名前(旧姓)は大神。オオガミ大ガミ…大噛み。
アナウンサーに最初からあまり向いていなかったのではないか。

でもそんな家族や友達との何気ない会話に散りばめられた「言い間違え」「聞き間違え」に、あとから笑わせてもらっている。場所を選ばず思い出してはププッと吹き出す時、今日も大して心が塞がれるような日ではなかったと思うのだ。

人と関わっている限り、こういうネタに毎日どこかで出くわすのは、なんだか楽しい。

野球母たちとの会話でもやってしまった…

9月の怒涛の2週連続3連休の最終日。
私の目が霞んでいるのか、日没の時間が早くなって辺りが暗くなってきたのか、人の顔がよく判別できないくらい疲れ果ててぼんやりグラウンドを眺めていた。

そう言えばこの前まで暑いだ足が攣るだの言っていたのに、陽が落ちてくるとすっかり辺りは涼しくなってきた。
薄暮でボールも見えづらい。
目のかすみは自分のエネルギーレベルがガッツリ下がった表れだ。

「今日、夕食なににするぅ?」
(もう作るの絶対無理、どっかで食べて帰るよ…の言い換え)
渋滞がみるみる酷くなる帰りの道路情報を得ながら、母たちの定番質問がまったりと交わされる。

「電気(グラウンドの照明設備)ないよね…。」
一人が誰にともなく話しかけた。ボールがいよいよ見えにくくなっていくからだ。

「もう、ないよぉ元気なんて。あたしゃヨレヨレでご飯なんて作れないよぉ〜。」

…は? 電気?元気?
私の答えを不思議な顔で受け取ったあと、ヒャッヒャー!と笑い合う母一同。

噛み合わない会話が笑いを呼んで、おかげでちょっと元気を取り戻した。

さあて、と。
ここからもうひと頑張り渋滞乗り越えて、お家に帰るよー!

夕方見上げた景色

夕方見上げた景色がなんだか秋

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