【SVリーグ】最大の強敵は自分自身と話すムセルスキー「そんな手強い相手に打ち勝つには、練習するしかない」
03/18 07:00
ドミトリー・ムセルスキー/サントリーサンバーズ大阪
ロングインタビュー 第3回(全4回)
サッカーのJリーグだけでなく、バレーボールのSVリーグにも、さまざまな国からやってきた外国籍選手が在籍している。彼らはなぜ、日本を選んだのか。そしてこの国で暮らしてみて、コートの内外でどんなことを感じているのか。シリーズ初のバレーボール選手は、先日、今シーズンかぎりでの現役引退を発表した元ロシア代表ドミトリー・ムセルスキーだ。
第1回から読む >>> 今季で引退のドミトリー・ムセルスキーが8年前に来日したワケ「日本のバレーボールの成長の理由が知りたかった」
第2回から読む >>> ムセルスキーの長い独白「バレーボールが導いてくれたこの旅路は、言葉で言い尽くせないほどすばらしいものだった」
【13歳の時にプロの試合を始めてみて同じ道を辿ることを決意】
旧ソ連南西部のマキイフカ(ソ連崩壊後にウクライナとなり、現在はドネツク人民共和国の施政下)で生まれたドミトリー・ムセルスキーは、片田舎で恵まれない幼少期を過ごしたという。生家の周りには草原や牧場が広がり、彼の家族は野菜や家畜を育てて糊口の資を得ていた。

ドミトリー・ムセルスキーの大きな手に持たれると、ボールは小さく見える photo by Shogo Murakami
8歳の時、学校の体育の先生が彼にバレーボールを勧めた。教え子の身体能力と天性のポテンシャルを見出したその教師こそ、ムセルスキーに「すばらしい旅路」のドアを開いた人だ。
彼の実家にテレビの有料チャンネルはなく、当時はインターネットも普及していなかったため、少年時代にトップレベルのスポーツを観る機会はなかった。だからバレーボールをする上で、誰かに憧れたことはないという。
「あの頃は見よう見まねでプレーしていた。周りの選手たちの動き方、スキル、特徴を観察し、いいと思えたものは取り入れていたんだ。他に方法がなかったからね」
13歳の時、その体育教師にロシア・バレーボール・スーパーリーグの試合に連れて行ってもらった。そこで輝かしい光景を目にした瞬間こそ、ドミトリー少年を突き動かしたターニングポイントだ。
「バレーボールを生き生きとプレーし、それを仕事にしている人がいることを知った。その時、私は決心したんだ。このスポーツに本気で取り組み、自分も彼らと同じように、バレーボールで生きていこうと」
体育の先生が見出していたように、ムセルスキーにはバレーボールの才能があり、特別な遺伝子も備わっていた。ただしトレーニングに明け暮れていた彼は、自身の身長を取り立てて気にしたことがないという。
「周りの人から、君は背が高いと言われていたけれど、自分ではよくわからなかった。だからいつ2メートルに達したのかも、本当に覚えていないんだ。おそらく10代の頃だったと思うが」
【「アスリートは今この瞬間がすべて」】
15歳でプロになり、大学でスポーツを学びながらプレーを続け、21歳でロシア代表に初招集され、以降は毎年のように大きなタイトルを手にしてきた。代表としては五輪、ワールドカップ、ワールドリーグ、ネーションズリーグ、欧州選手権、クラブレベルではチャンピオンズリーグ、クラブ世界選手権、ロシア・スーパーリーグ、SVリーグ、加えてそれらの大会でベストミドルブロッカー、ベストサーバー、ベストオポジット、最優秀選手賞など──手にしていない称号はほとんどなさそうだ。
そんなトップ中のトッププレーヤーが、29歳の時にサントリーサンバーズ大阪に入団した。当時のVリーグのレベルをどう感じたのだろうか。
「まず、選手の敏捷性と試合全体のスピードに好印象を抱いた。また誰もが実に利他的で、スター選手でもディフェンスに精を出すところもいいと思った。それらは日本のバレーボールの強みだ。冒頭で話したように、年々、日本代表が強くなっていると感じていたのだが、その理由はまさにこうしたところに見出せるのだとわかった」
日本人選手で特に目を引いた選手はいたのだろうか──と、用意した質問を投げかけながら、もうその時にはどんな答えが返ってくるかはなんとなくわかっていた。
「私はすべての選手をリスペクトしている。トップレベルでは、誰もが光るものを持っているものだ。少年時代から自分にはアイドルと憧れた選手がいなかったように、誰かひとりに注目することはないんだ。もちろん、日本には国際的に名の通る選手や、実に優れた選手がいる。ただし私の考えでは、完璧な選手などどこにもいないし、アスリートは今この瞬間がすべてだと信じている」
──それはどういう意味でしょうか。
「私は20年超の長いキャリアで、多くのすばらしい選手を見てきたが、何かの拍子にいなくなった選手を何人も見てきた。怪我やコンディション不良といったフィジカルの問題だけでなく、プライベートで不運に見舞われたり、メンタルに不調をきたして消えていった選手たちを。だから、アスリートは現在がすべてだと、私は考える。そして私はいまこの瞬間に輝いているすべての選手から、何かを学ぼうとしている」
【「自分自身に打ち勝つしかない。とても手強い相手だが」】
それなら尋ね方を変えてみようと思い、一番タフだった相手は誰かと訊いてみた。
「いい質問だが、それは自分自身だ」
──バレーボールは個人競技ではなくチームスポーツだけど、それでも?
「もちろん。練習で繰り返してきたことを試合でそのまま出せればいいが、そんなに簡単ではない。多くの観衆に注目され、思うように身体が動かない時もある。すると自らを疑ってしまったり、弱気になってしまったりすることがある。そんな時、自分自身に打ち勝つしかない。とても手強い相手だが」
そんな強敵を打ち負かすには、何が重要なのかと訊くと、ムセルスキーは即答した。
「プラクティス! たくさん練習するしかない。それが唯一の方法だ」
ここでもまた、ムセルスキーとフットボール界のレジェンド、デイビッド・ベッカムが重なった。かつてある同業者が「あなたはどうしてそんなに正確なキックが蹴れるのか」と元イングランド代表MFに尋ねたら、彼もまた「プラクティス!」とすかさず返答したという。当然と言えば、当然のことだけれども。
「スポーツでは準備が肝心だが、完璧に準備できたことなど一度もない。だから自分に打ち勝つためには、練習するしかないんだ」
ムセルスキーの言説を聞いていると、個人競技のトッププレーヤーのようにも思えてくる。自分自身との戦いに直面するテニス選手や、スタート地点に立った時にほぼ勝負が決まっているマラソンランナーのように(つまりどれだけいい準備をしてきたか)。
だが、実際にコートに立っている時のムセルスキーの印象は異なる。笑顔で仲間を盛り立て、チームメイトに感謝する、れっきとしたチームプレーヤーだ。
(つづく)
第4回を読む >>> ムセルスキーが日本で一番印象に残っている試合「私は妻の誕生日で一度も負けたことがない」
ドミトリー・ムセルスキー Dmitriy Muserskiy
1988年10月29日生まれ、旧ソ連・マキイフカ(ソ連崩壊後にウクライナ領となり、現在はドネツク人民共和国の施政下)出身。8歳でバレーボールを始め、15歳でプロになり、23歳の時にロシア代表として出場したロンドン五輪の決勝で大活躍し、金メダル獲得に貢献した。W杯、欧州選手権、チャンピオンズリーグ、クラブ世界選手権など、代表とクラブの双方で様々なメジャータイトルを手にした後、29歳の時にサントリーサンバーズ大阪へ移籍。日本での8シーズン目となる今季かぎりで、現役を退くことを表明している。身長218センチ、ポジションはオポジット(元はミドルブロッカー)。